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  活動報告

  研究成果

  活動予定

  記 録




  2020年

2021年08月18日 草刈りをしました

某所で草刈りをしていたら、終わりごろに雨でずぶ濡れになりました。

そのあと、お風呂をいただきました。

明日は、筋肉痛だろうな。

いや、明後日、筋肉痛になるかもしれない。

しかし、雑草の成長は、早すぎるよ。



  2021年08月17日 学術調査

 
科研費の構想を練るため、仙台文学館で開催している第21回こども文学館えほんのひろば「みちのく妖怪ツアー」展へ行きました。

宮城県在住の作家である佐々木ひとみさん、野泉マヤさん、堀米薫さんによる『みちのく妖怪ツアー』(新日本出版社、2018年刊)を扱った展示会です。

仙台文学館は、井上ひさしが初代館長を務め、伊集院静や伊坂幸太郎などの現代小説。

さらには、映画、演劇、児童書、マンガまで幅広い媒体を扱い、過去には「安野モヨコ展」も開催したという全国の文学館でもとてもユニークな施設です。

また、絵本の収集を積極的に行なっていて、私としては目が離せないところでもあります。

いうならば先代文学館は、 文学から派生する様々なメディアコンテンツへの言及する仙台文学館は、まさに文学の汎用性を具現化している博物館・美術館なのです。

その後、北山にある横田やも訪問しました。

横田やは、東日本大震災以降、宮城県内の子どもたちが震災前の日常に戻れるよう、「絵本」「おもちゃ」「文房具」「遊び」を通した支援を行う団体「こどもとあゆむネットワーク」を展開している、創業から40年以上続く絵本と木のおもちゃ専門店。

昔、味噌醤油製造元だった横田やは、歴史ある建物なのでたびたび訪れております。


  2021年08月16日 絵画Ⅰ

 
帝京大学短期大学の前期講義として開講した「絵画 Ⅰ 」では、講義中に紹介したエルヴァン・パノフスキーの『イコノグラフィー』とロランバルトの『映像の修辞学』、秋田麻早子の『絵を読む技術』などに関心を持った学生が多かったようです。

とくに西洋絵画の画中画を取りあげる「絵画 Ⅰ 」の教科書『名画に教わる名画の見かた』では、1980年代のシミュレーショニズム、ネオポップに見られるオマージュ・引用・盗用・剽窃の手法が後半の中心テーマになってきます。

オマージュ・引用・盗用・剽窃の手法は、私も関心がある研究テーマであり、2020年に刊行した森 覚編『メディアのなかの仏教-近現代の仏教的人間像』も再び語りなおす再話という名の引用行為を問題にしています。

講義のポイントとしたのは、作品をつぶさに観察し、表現されたものを通して表現者と鑑賞者の間にいかなるコミュニケーションが生じ、どのような情動と精神的交感が起こるのか。

そして、社会的影響を受ける一個人として、あるいは、共同体の構成員として、社会化される表現者・鑑賞者・画商・コレクター・学芸員に目を向けること。

現代アートのイメージとしてありがちな表現者の作品を通した自己顕示やアイデンティティの再認もまた、社会に組み込まれた個人の問題と関係していること。

これらの論点は、「社会との関わりの中から生み出される絵画」という平易な表現で示した「絵画 Ⅰ 」の全体テーマと関連しています。

つまり、世相・政治・経済・メディアなどの社会的要因から生み出される表現を考えた上で、表現者がすでに存在する制度化されたどんな表現手法を引用して、どのようなコンセプトのもと、一つの作品として再構築化しているかを読みとる必要があると伝えた講義でした。


  2021年08月15日 共同研究会代表会議

 
7月末に大正大学綜合佛教研究所の共同研究会代表者会議が開催されました。

昨年からコロナ禍が続いており、研究所の公式行事はすべてZoom開催が続いていました。

しかしこの日は、久しぶりに研究室へ集まり、ほかの研究会代表者の方々と顔を合わせることができました。

早く対面での研究会を開催できればいいですね。



  2021年08月14日 大学院の後輩

 
渋谷を歩いていたら突然声をかけられる。

誰かと思ったら大学院の後輩だった。

大学院で博士号を取得して10年。

面識のない後輩も出てきて、声がけいただいたのはうれしかった。


  2021年08月13日 文化的記憶のはなし

 
仏教文化におけるメディア研究会第5回定例会を開催。

渡辺隆明先生による「仏教文化の諸現象は「記憶」か「歴史」かー仏教文化研究の方法論について」を聴講しました。

これは、昨年度刊行された『メディアのなかの仏教-近現代の仏教的人間像』の序論にある脚注で私が紹介したヤン・アスマンとアライダ・アスマンの「文化的記憶」を取り上げた発表になります。

「文化的記憶」は、メディアに蓄積され、埋もれている記憶(蓄積的記憶)を意図的、あるいは選択的に掘り起こし、人為的に再構成することで、ある集団が共有するアイデンティティの根拠や行動原理として仕立て上げられた記憶(機能的記憶)となります。

なお、この機能的記憶は、実証史学では排除されてしまう伝説の域を出ない虚構の記憶をも入り混じるものになります。

つまり、事実であろうと虚構であろうと、その記憶がある集団にとって真実であると信じられていることに意義を見出すのが、アスマン夫妻の視点です。

たとえばヤン・アスマンの『エジプト人モーゼ』は、実証史学において歴史的実在性のないモーゼという人物が、ヨーロッパの歴史上、ある時はエジプト人モーゼとして、またある時はユダヤ人モーゼとして語られてきたことを紹介しています。

つまり、歴史的な実在が確認されていないはずのモーゼが、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の信仰集団においては、過去の記憶として共有されているということです。

しかもその記憶は、虚構の領域にとどまる事なく、絶えず実証史学の成果にもとづく修正がなされ続け、更新されています。

つまり、近代の史的イエスや史的ブッダ研究にみられる実証された歴史以外の宗教的出来事を排除してしまう実証史学とは、少し異なる見方に立つ理論になります。

本年度刊行された『近代仏教』で、私が書かせていただいた書評「大澤絢子『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたのか』」でも指摘した通り、親鸞もまたモーゼと同じく、史実としての本人に関する出来事はほとんど解明されていません。

しかしそれでも浄土真宗の諸教団内部では、過去のメディアに蓄積された史実なのか虚構なのか分からない記憶の断片を再構成した集団の規範・行動原理となる宗祖の歴史を共有しています。

そうなると、果たして史実ではないからこの記憶は嘘だと指摘するだけの研究手法は、仏教文化の総体を捉えることができるのか?という話になってきます。

人間によって創り出されるものを「文化」と呼ぶならば、虚構性の入り混じる記憶がどのように生み出されたのか、そしてその記憶が集団にとっていかなる意味を持つものなのか。

この辺を明らかにした方がよいのではないかというのが、アスマンの論点かと思います。

大乗非仏説のような実証史学の仏教研究からは否定される部分も含むメディアに蓄積された仏教的記憶の研究は可能か?

そんな議論をしておりました。


  2021年08月12日 深夜ドラマ「漂着者」

 
斎藤工主演の「漂着者」という深夜ドラマを観た。

記憶を失ったヘミングウェイという謎の男に関するSNSの言説をめぐる発信者と受信者の行動と思考が表現されていて興味深い。

ネット上の反応を気にし、好奇心によって気軽に情報を発信するアマチュア。

受容できないほどの情報を大量に浴び続けている個人。

情報を発信しているマスコミ関係者が、SNSの情報に影響を受けている事実。

ネットの情報に左右されながら思考し、行動する情報化社会の個というリアルをあらためて認識させる。

まさに引用の連鎖だな。


  2021年08月11日 地獄に関する研究

 
2011年4月に大正大学綜合佛教研究所に入所し、猪股清郎先生が代表を務める「仏教における生(いのち)研究会」に参加させていただいてすぐ、わたしは研究論集の執筆に参画する幸運を得ました。

この研究論集は、2013年に『時空を超える生命 〈いのち〉の意味を問い直す』というタイトルで、勉誠出版から刊行されたものであり、その中に拙著「『絵本地獄じごく』の研究-生〈いのち〉の教育における地獄絵の役割」が収録されています。

2016年11月26日に佛教文化学会第26回学術大会が開催されますが、その際に「地獄と極楽~いま、その意味を問い直す~」という基調講演とシンポジウムが行われました。

プログラムとしてはじめに当時大正大学准教授だった神達知純先生と曽根宣雄先生による基調講演が行われました。

その後のシンポジウムで、妖怪研究の今井秀和先生とともにわたしは地獄に関する発表をし、宇治平等院の神居文彰先生と三宅善信先生が極楽に関する発表をされました。

招聘パネリストとして、わたしが選ばれた理由は、「『絵本地獄じごく』の研究-生〈いのち〉の教育における地獄絵の役割」の業績によります。

そして月日は流れ、2021年のわたしは、再び地獄づいています。

私が代表を務める綜合佛教研究所の共同研究「仏教文化におけるメディア研究会」第三期「娯楽と日本仏教」研究プロジェクトでは、わたしの担当領域が「地獄絵本」の研究。

また7月には、金沢佛教会様の機関誌『慈光』に「特別寄稿(前編)地獄絵本に見る明治時代の仏教文化」という記事が掲載。

さらには、今年度中に刊行される『大正大学綜合佛教研究所年報』で、明治時代の地獄絵本を取りあげた論文「明治15年の草双紙『開化地獄論』-啓蒙主義と仏教」を発表することになっています。

きわめつけは、現在、準備を進めている科研費申請も「地獄」でいこうと考えていること。

この研究では、宗教的観点だけに特化した地獄の思想とか、地獄の世界観に言及する研究ではなく、むしろメディア表現と社会とのかかわりという点から論じていきます。

明治時代になると地獄は、啓蒙思想の観点から迷信とされ、近現代の教学上では言及されなくなり、むしろ商業メディアのなかで取り上げられるようになります。

こうした事情から、メディアを通じ、一般の人々が仏教をどのように見ていたのかを考える上で、地獄はよいテーマになるのではないかと考えているわけです。

ただし、申請にそなえて少しずつ一次資料を調べていたら、地獄を単体に取り扱うものだけでなく、地獄と極楽の双方に触れている資料が多いことから、申請する研究テーマは、地獄と極楽の研究になると思います。

今年の7月16日は千住の専勝寺へ行き、閻魔堂へ参詣してきましたが、閻魔みくじには「学問 努力すればよろし」とあったので、吉日ならぬ吉年なのかな。

というわけで、8月は、科研費の申請書類を書くことに時間をあてることにします。

リンク 佛教文化学会第26回学術大会「地獄と極楽~いま、その意味を問い直す~」


  2021年08月10日 理論の混同

 
私の師匠であるシャウマン ヴェルナー先生は、学術理論を混同して理解しないようにしろ、とよく言っていた。

細分化された近現代の学問分野には、研究者たちによって蓄積された研究成果があり、そのなかでは、ある時代、ある地域、ある時代の思想・価値観・議論・情勢を踏まえて成立した学術理論がある。

この学術理論もさまざま存在するが、その発想の基盤には、着想や課題の類似性が認められるものもある。

しかし、シャウマン先生は、異なる理論に類似する点が認められるとしても、別々の人間が提唱した理論を同様の発想から成立したものとみなし用いてはいけないと、理論の混同について注意をうながしていた。

というのも、研究に同時代的な思想の傾向と課題があったにせよ、理論というのは、先人から受け継いだ理論の延長上にあって、研究者個人が論理的な積み重ねていく上に成立するものだからである。

それを認識していないのは、そもそも東西問わず哲学的思考を理解していないということらしい。

論理的な積み重ねの上に、理論構築がなされていることは、人文系研究者の念頭におくべき心得でしょう。


  2021年08月09日 改訂されていくコンテンツ

 
日文研大衆文化研究プロジェクト編『日本大衆文化史』の「群れをなす読者」というのは、掲示板やブログ、SNSといったコミュニケーションの場で、共有され、二次創作的に改訂されていくコンテンツの事例にあてはめられる。

たとえば、ツイッターにおいて、ちゃーきさん(@OochaaakyoO)というユーザーが「心が荒んでたので写経しました」という理由から、毛筆で写経に記した「退職届」を投稿した。

この時、ちゃーきさんは「誰か毛筆上手な方、清書してください」とコメントをしたことから、「退出届」の二次創作がツイッター上で伝染的に投稿されていく。

「ちょっと強そうにするため」、書写体の写経を投稿した蒼喬さん(@sokyyo1226)。

昭和書体の毛筆フォントで印刷した退職届を掛け軸に表装した片山表具店の掛物継美さん(@kakemonotsugumi)。

さらには、ふが6(@Sunacha)の毛筆写経を本物の僧侶である蝉丸Pさん(@semimaruP)が読経することまで行われていった。

すなわち、インターネット・コミュニティの場で、一個人が披露した作品を見た不特定多数の人々が反応し、先行的な作品に新たな新意を加える二次創作的な改訂がなされたのである。

これは、まさに「群れをなす読者」的な創作プロセスだといって差支えないだろう。

「群れをなす読者」的な創作プロセスとしてまずポイントなのは、表現されたものが何かしらのコミュニケーションの場で共有されることにより、別の誰かが新意を加えた二次創作的な作り直し(改訂)が行われることである。

そして「新意を加えた二次創作的な作り直し(改訂)」というのも、その作り直しを行う人物の個人的才能や意味づけによるのではなく、コミュニケーションの場でデータベース的に共有されている、すでに存在するさまざまな作品表現を引用し、それを再構築することで成立していることも注目すべき点となる。

実際、「退職届」の写経は、より文化財的な本物の経典っぽく改訂されており、本物の僧侶が読経までしている。

そのような改訂がなされるのは、経典というものが毛筆で書かれているとか、文化財のようなものは掛け軸になっているとか、写経なので本来は僧侶が読経する宗教的な文章といった知識が、二次創作をする人々の間でデータベース的に共有され、その知識を引用してきているからである。

こうした表現上の引用という行為は、私の専門分野でもある。

2020年に刊行した森 覚編『メディアのなかの仏教』(勉誠出版)では、ジャック・ザイプスの『おとぎ話が神話になるとき』における改訂的再話を理論の軸にすえた。

この『おとぎ話が神話になるとき』には、上流社会というコミュニケーションの場で「美女と野獣」の作り直しが行われてきた歴史を論じる箇所がある。

作り直すこと、語り直すことは、再話と呼ばれる行為だが、再話もまた何かしらの物語(元ネタ)を引用することで成立する。

人間は、すでにあるものからしか表現できないのであり、だからすでにあるものを引用し、再構成していく。

『日本大衆文化史』の「群れをなす読者」を考えるうえで、この引用表現というのは、非常に重要なキーワードになる。

ただ私個人としては、一つの作品コンテンツが複数の人々に共有され、さまざまな人々によって新たな表現・意味が加えられるという行為のほうに強い関心がある。

その点から「群れをなす読者」「引用」「再話」について考えてみたい。


  2021年08月08日 群れをなす作者

 
日文研大衆文化研究プロジェクト編『日本大衆文化史』で大塚英志先生が担当した序論には、「群れをなす作者」という柳田國男の概念が記されている。

昔話といった口承文芸の話者は、先代の伝承者から継承した表現を正確に再現するのではなく、同時代の聴衆の期待に応えるべく、アドリブや改訂といった新意を加えて変化させていく。

そうした口承文芸における聴衆の期待と、期待に応えて新意を加える作者の双方によって、一つの文芸作品が生み出される。

その意味で見せかけ上の作者という個人は、作品を創出する人々の代表でしか過ぎない。

つまり作者とは、文芸作品の改訂的再生産に介入するすべての人々が作者なのである。

作者とは、個人なのではなく、群れなのである。

『日本大衆文化史』における「群れとしての作者」像は、単なる柳田の思想をそのまま引用しているというよりも、現代のインターネットにおけるネットワーク・コミュニケーションが強く意識されている。

現代のインターネットでは、読者・視聴者・鑑賞者が「何かの表現について語る」という行為をよく目にする。

こうした「何かの表現について語る」ことを、文芸表現に接する受け手のダイレクトな反応として認識できるコミュニケーションの「場」というのは、口承文芸の作り手と受け手のように人と人とが対面で交わす場面や、紙などに描かれ記された表現や記録として人々が見て読むもの。

現代において掲示板やブログ、SNSなどといったソーシャルサービスといったものが該当する。

直接的な発話であれ、木や紙などに描き記すのであれ、人が人へと自らの意思を伝えるコミュニケーションの伝達手段は、総じてメディア(媒体)と呼ばれる。

その意味で「場」とは、さまざまな立場の人間が発言するメディア・コミュニケーションの言説表象空間であるということになる。

作者は、そうした場を通じて受け手の反応に応えようとしつつ、すでに存在する表現に新意を加えて新たな作品を創り出す。

つまり、作者という作り手と、読者・視聴者・鑑賞者といった受け手の双方向コミュニケーションこそが、創作の原動力・モチベーションになっているということである。



  2021年08月07日 共読ライブラリー

 
帝京大学の「共読ライブラリー」をようやく仕上げました。

推薦図書は、日文研大衆文化研究プロジェクト編『日本大衆文化史』(KADOKAWA、2020年)です。

この本には、一人の作者個人が物語を創り出すのではないという近代的作者像への批判が記されています。

つまり、ある作品表現について聴衆のダイレクトな反応を感じ、作者がそれに応えるコミュニケーションの場を通じ、作り手と受け手が相互に影響を及ぼしあうことで、新たな物語が生み出される。

そうした作品制作の通史を柳田國男の「群れをなす作者」という概念から編纂したのが『日本大衆文化史』になります。

「共読ライブラリー」は、学力の向上と情報編集力の獲得を目的として、帝京大学メディアライブラリーセンターと編集工学研究所(松岡正剛所長)とがゴールデンタックを組んだ共同プロジェクトとのこと。


  2021年08月06日 空飛ぶ鉢

 
目下、(公社)日本仏教保育協会編『ほとけの子』にて、ジャータカを再話とした「インドの昔のおはなしジャータカ物語」を連載しています。

仏教童話を制作する際に、南伝パーリ語のジャータカを調べていると、日本の説話に共通するモチーフを発見することがあります。

たとえば『信貴山縁起絵巻』には托鉢する命蓮の空飛ぶ鉄鉢があります。

空飛ぶ鉢というのは、ジャータカにも出てきます。

たとえばジャータカ第40話では、托鉢するために都へ出かける辟支仏とともに、土鉢が空を飛んでいくのです。


  2021年08月05日 先駆的な文学研究者

 
本来は、絵本研究をしているわたしですが、同業他分野の先生からお誘いを受けてマンガ・アニメ・ゲームに見られる文学からの引用表現について論文を書くこともあります。

この引用という点で、文学とポップカルチャーの接続に言及した先駆的な論考を発表されているのは、宮崎大学の山田利博先生でしょう。

ロラン・バルトのエッセイ「作者の死」にある「引用の織物」としてのテクストをアニメやマンガのインターテクスチュアリティ(関テクスト性)にあてはめておられます。

セーラームーンの学術論文も書いておられるポップカルチャーに目を向けている文学研究者として尊敬しております。




  2021年08月04日 メディア表現をめぐる人的交流

 
自分のなかでメディア表現の「引用」「移植」「再話」は、重要な研究課題の一つ。

「引用」「移植」「再話」は、別段新しいメディア表現ではなく、古くから見られるもの。

しかし、1990年半ばから世界的に拡大したインターネット。

さらには、2000年代から登場したスマートフォンをはじめとするモバイル情報端末機器により、室内だけでなく、野外でのインターネット・アクセスが日常化すると、これらの表現にも変化が見られるようになる。

情報を一方向で発信するマスメディアが力を持っていた時代、情報を受け取る読者・観者・視聴者のリアルタイムな反応は、認識しがたいものであった。

ところが手元のモバイル情報端末機器を操作し、SNSやブログを閲覧し、情報発信できるようになった現在、さまざまなメディアで接したコンテンツへと即座に反応する人々の発言がインターネット上に溢れ出るようになった。

同時に現在のインターネットは、作者・クリエーター・編集者・小売業者・ファンなどが自ら発言するコミュニケーションの場として機能している。

このようなネットワーク空間で交わされるコンテンツへの感想や解釈、二次創作の公開は、時としてコンテンツ制作や展開を左右する世間一般の意見として、作り手へとフィードバックされる現象も生じている。

つまり、2000年代以降のメディア表現を考える際、コンテンツそのものだけでなく、コンテンツをめぐるさまざまな人々の関わりに目を向ける必要がある。

インターネットには、あるコンテンツについて語る衝動にかられた人々が生み出す無数の関連表現、すなわちパラテクストが溢れている。

それらのパラテクストを拾いあげながら「引用」「移植」「再話」のメディア表現を観察することは、作品の創造過程のみならず、コンテンツの受容、とりわけ意味解釈の変転する主導権をめぐるさまざまな人々の交錯について明らかにするうえで有効な手立てとなるのではないだろうか。


  2021年08月03日 『ようこそ地獄、奇妙な地獄』

 
星瑞穂『ようこそ地獄、奇妙な地獄』(朝日新聞社、2021年)を読む。

『往生要集』に記された地獄、因果によって地獄に堕ちる人びと、地獄はどこにあるのか、地獄の役所仕事、地獄の救済、パロディ化した地獄など、さまざまなテーマから地獄を捉えている。

個人的には、最後の「さいごに-奇妙な地獄」で取り上げられる河鍋暁斎の『暁斎画談』や画帳『地獄極楽めぐり』、芥川龍之介『地獄変』といった明治時代以降に表現された地獄が興味深い。

しかしながら自分は、メディア表現を社会文化的文脈から読み、近現代的な社会との関わりのなかで生み出され、意味づけられる表現を考えている。

そうなると面白いと思うのは、総括部分。


  2021年08月02日 個人研究と共同研究

 
研究者というのは一人ひとりが経営者のようなものであるという話を先輩から聞いたことがある。

研究者は個人で研究に取り組むのが基本。

けれども時として共同研究や学術団体に所属し、さまざまな研究者と顔をあわせ、意見をかわす場面も出てくる。

個人プレータイプが組織を運営するのは大変に難しい。

共同研究の代表を務めて9年目になり、自分の能力で対応できる限界があることを実感する場面もあった。

そうした経験からも改めて自分の立ち位置を確認すべきだなと最近自問自答するようになったということです。


  2021年08月01日 後期の講義について

 
帝京大学から講義時間割が届く。

前期はデータベースだったが、後期はHTMLとCSS、更にはGIMPとKritaによる画像処理の講義を行う。

最新技術ではないけれど、まずは人文系学生がごく普通に自力で情報発信できるようになる。

そうして初めて情報社会は一段階進んだといえるだろう。

そんなことを考えていたら夜になり、東海テレビの「奇々怪々迷信探偵」を観た。

迷信俗信の科学的メカニズムを暴こうとした人に井上圓了がいるけれど、心霊番組も迷信や俗信が信じられるプロセスを解明しようというのが昨今の流行りなのか。

人為的に創造された1970年代以降のオカルトブームとはまた違う潮流が民放にきていて興味深い。


  2021年07月30日 キズナアイ 大正大学バーチャル学長就任式

 
成績つけながら、大正大学バーチャルキャンパス「キズナアイ ひと夏だけの学長就任式」を視聴している。

リンク 大正大学バーチャルキャンパスオープニングイベント「キズナアイ ひと夏だけの学長就任式
 



2021年07月30日 オンラインシンポジウム

  オンライン公開シンポジウム「サブカルと宗教表現―神としての「温泉むすめ」―」

パネリスト:橋本竜氏、佐藤寿昭氏、渡辺賢治氏(コーディネーター)

日時:2021年9月25日(土)14時

開催方法:Zoom開催

参加費:無料、事前申込制、定員300名

主催:仏教文化におけるメディア研究会





  2021年07月29日 仏教文化におけるメディア研究会第6回定例会

  仏教文化におけるメディア研究会第6回定例会を開催。

今回の発表は髙橋秀慧先生による近代日本のメディアにおける勤王僧をめぐる表象というご発表でした。

幕末に活躍した勤王僧たちは明治期のメディアのなかでいかに評価され、表現されていったのか。

質疑応答も大変盛り上がりました。



  2021年07月26日 researchmapを更新

 
5月から絵本学会「日本絵本研究賞」運営委員に就任し、6月には常磐大学短期大学幼児教育保育学科「子どもと言葉 Ⅰ 」第9回と帝京大学教育学部「絵本の世界 Ⅰ 」第11回の招聘講師を務めたので、研究者のSNSこと、国立研究開発法人科学技術振興機構researchmapを更新してみました。


  2021年07月23日 花巻・北上の仏教史跡

 
岩手県の花巻・北上エリアで小学生から関心があったけれども行けていない場所。

リンク

 ◯ 国見山廃寺跡

 ◯ 立花毘沙門堂

 ◯ 成島毘沙門堂

 ◯ 萬藏寺

 ◯ 万円寺一燈庵

光徳寺の「藏脩館」も入ってみたかったな。


  2021年07月22日 仏教文化におけるメディア研究会第5回定例会

  仏教文化におけるメディア研究会第5回定例会を開催。

今回の発表は渡辺隆明先生の「仏教文化の諸現象は「記憶」か「歴史」かー仏教文化研究の方法論について」でした。

大乗非仏説のような実証史学の仏教研究からは否定される部分も含むメディアに蓄積された仏教的記憶の研究は可能か?という内容です。


  2021年07月19日 机のなか

 
机のなかから剣持武彦先生のお手紙を発見。

かつて日本比較文学会の定例会で「仏教絵本を読む」という発表をした際、剣持先生から褒めていただき、お手紙まで頂戴したという思い出。

また仙北谷晃一先生とは神田神保町の「兵六」でよくお会いし、名刺交換も学会ではなく酒場でしました。


  2021年07月16日 閻魔賽日

 
地獄の釜の蓋が開く1月16日と7月16日の「閻魔賽日」は亡者の罪科を裁く冥府の王とされる閻魔大王のご縁日。

千住という地名の由来となった御本尊の千手観世音菩薩が有名な北千住の赤門勝専寺では閻魔堂のご開帳が行われています。

お参りした後に閻魔大王の御札とおみくじをお譲りいただきました。




  2021年07月14日 絵画Ⅰ

 
昨年度から担当している帝京大学短期大学「絵画 Ⅰ 」が二巡目を迎えました。

対面講義に移行した本年度は熱心な受講者がちらほらいて、18時終わりの講義後に30分くらい質疑応答の補講になるほど。

表現・作家・鑑賞者・社会との関わりから美術作品を読み解くことについて意見を交わしています。

「絵画 Ⅰ 」では西洋美術の画中画を事例にオマージュ・引用・盗用・剽窃といった表現を考えると同時に、絵をみる理論スキームについて紹介しています。

様々な理論を確認すると、まずは絵の表現を言葉にし、異なる視点から紡ぎ出す言葉をそこへ重ねていく作業が絵の観察法であることが分かります。


  2021年07月13日 大石兵六夢物語

 
天明4年に薩摩藩の下級武士である毛利正直が書いた「大石兵六夢物語」は大石内蔵助の子孫である大石兵六が人を化かす悪い妖狐を退治する物語。

神田神保町の酒場「兵六」の初代店主平山一郎氏は鹿児島の出身であり、故郷の物語から「兵六」という店名にしたという。


  2021年07月12日 キズナアイ

 
7月31日、大正大学にバーチャルキャンパスが新設されます。

バーチャルキャンパスの学長はキズナアイさんです。

リンク キズナアイ学長就任式


  2021年07月11日 「特別寄稿(前編)仏教絵本にみる明治時代の仏教文化」

 
金沢区佛教会機関誌『慈光』第146号に「特別寄稿(前編)仏教絵本にみる明治時代の仏教文化」が掲載。

廃仏毀釈が巻き起こる最中にも人気が続いた『釈迦八相倭文庫』。

文明開化を推進する教導職の活動期に出版された『開化地獄論』へ言及し、明治時代における仏教文化の実態について紹介しました。

今回執筆させていただいた「特別寄稿(前編)仏教絵本にみる明治時代の仏教文化」は学術書や宗教書ではなく、一般的な商業メディアを通して庶民が接した近現代の仏教文化について考えるためのエッセイです。

現在検討している「商業メディアに表現された地獄」を研究するうえでの先行的試みになります。

ただし、明治0年代から明治10年代の商業メディアから同時代の仏教文化をうかがう際に注意しなければならないのは、当時のメディアコンテンツが大阪・京都・東京(江戸)の三都を中心に制作され、供給されていること。

つまり当時のメディア表現に反映されていた社会的状況は、地域的な限定がかかっています。

明治10年代から『淡路新聞』をはじめとする自由民権運動系の新聞が発行されています。

しかし江戸時代から連続的に継続する展開が認められる商業メディアは大阪(大坂)・京都・東京(江戸)の三都を中心に制作・供給・消費されていたという意味で「地域的な限定」がかかっていると表現してみました。






  2021年07月10日 柴山雅都著『兵六―風を感じるこだわりの居酒屋』

 
4月に予約した柴山雅都著『兵六―風を感じるこだわりの居酒屋』を受けとるため、神田神保町にある酒場「兵六」を緊急事態宣言発令前に訪問しました。

「大石兵六夢物語」から店名を名づけたという初代店主は上海で芥川龍之介を魯迅に紹介した文化人。

いまも文化の薫り漂う、よい年の取り方をした酒場。




  2021年07月09日 近現代商業メディアにおける地獄の研究

 
商業メディアにみられる地獄の表象に関する研究をしたいなと考えています。

もちろんそれは、宗教という限定的な領域で語られる地獄ではなく、時代ごとに変転する社会文化的諸相との交わりからメディアを通じて生み出される地獄の表現について考察する広く社会に根ざしている仏教文化研究です。

布教メディアに限定せず、近現代の商業メディアに見られる地獄の表現へ組み込まれた、時代ごとに移り変わる同時代の思想・価値観・通念・習俗・政治・経済・階級・性別・芸術などの文化的諸要因を考察し、宗教者・知識人だけでない社会で共有され、庶民が接した仏教的事相を明らかにする研究。

社会と仏教の文化的交わりにより生成されたメディアで表現された地獄を考察する研究。

過去に発表した地獄絵本に関する拙著論文の印象として、近現代の教学や宗教哲学の言説として公に語られることが少ない地獄は商業メディアの中で社会的世相を反映しながら表現されてきたのではないかと考えています。

近々に「明治15年の草双紙『開化地獄論』―啓蒙主義と仏教」という新論文も出ますが、過去の論文が地獄研究の発想基盤。

リンク

 ◯ 『絵本 地獄 じごく』の研究―生(いのち)の教育における地獄絵の役割

 ◯ この世の写し鏡としてのあの世―仏教絵本に見る地獄―


  2021年07月08日 『コロナ・エポック』(水声社)

 
日頃からお世話になっている中川素子先生よりお知らせをいただきました。

7月中旬にスタシス・エイドリゲーヴィチュスさんの作品へ中川先生が言葉をつけた『コロナ・エポック』(水声社)が刊行されます。

「視覚情報からうまれる言葉」をコンセプトにしたアート絵本です。森村泰昌さんのコメントつき。


  2021年07月07日 ジャータカ物語「貧しい人のお供えもの」

 
(公社)日本仏教保育協会編集『ほとけの子』8月号No. 677(宣協社刊)にジャータカ物語「貧しい人のお供えもの」が掲載されました。

以前から研究者としての私が指摘してきた過去世パートを抜き出しただけの昔話ではなく、現世パートも組み入れた本来的なジャータカの再話に挑戦してみました。


  2021年07月05日 ジャータカの再話

 
現在『ほとけの子』(宣協社)にてジャータカ童話を連載させていただいております。

ジャータカを再話していると、死者が甦ると考えられていた地獄破りの原型的な第240話、古代インドに記号の概念があった事を示す符号としての名前に触れる第97話など学術的に興味深い話を見つけてしまう。

真言密教の空海が著した『声字実相義』と聖アウグスティヌスの『キリスト教の教え』に記される「記号・しるし」についての言及はすでになされていますが、第97話「名前を気にする男前生譚」でも「符号」「符牒」という訳語があるので、私の再話では「しるし」という言葉に変えています。

また、ジャータカ第240話は死んだ暴君が閻魔を殴りつけて地獄から追い出され、冥土から甦るのではないかと恐れる門番の話ですが、室町期の絵巻物である『義経地獄破り』や、桂米朝の「地獄八景亡者戯」などと同じく、地獄で亡者が暴れるというアイディアが見られて非常に面白いなと感じています。


  2021年07月04日 表象文化論学会第15回大会

  表象文化論学会第15回大会に参加。

7月3日は「シンポジウム:オーディオヴィジュアルの歴史における「アニソン(1960/1990)」:テレビまんが・音盤・ノスタルジー」。

4日は「パネル1:リプレイング・エヴァンゲリオン──身体・演劇・贈与」を視聴。絵本学でも参考になる発表ばかり。

表象文化論学会第15回大会はZoomでオンライン開催中。参加は会員、非会員問わず、プログラムの各セッションごとに、開始直前まで参加登録を受付しています。

なお最大参加人数が500人(先着順)となっています。16時からある『コンヴァージェンス・カルチャー』の発表が楽しみです。

コンヴァージェンス・カルチャーは、ファンと創り手とメディアが生み出す参加型文化のことですが、次のウェブサイトを読んでいただけるとわかりやすいです。

リンク
「ファン」と「作り手」のいい関係とは? 『コンヴァージェンス・カルチャー』から考えるファンダムの可能性


  2021年07月03日 卍プロジェクトオペラ『卍』公演事業

 
谷崎潤一郎の小説を原作とした「卍プロジェクト オペラ『卍』公演事業」の概要書。

文化庁「ARTS for The Future」の事業支援を受け、フル・オーケストラ編成で日本語オペラを上演するそうです。

小説のアダプテーション(改作)、表現ジャンルの越境を考える上でも重要なプロジェクト。




  2021年07月01日 メディアとしての絵本の位置づけ

  帝京大学教育学部で開講されている絵本の世界 Ⅰ 第11回講義「絵本各論④ メディアとしての絵本の位置づけ」のゲスト講師をつとめてきました。

絵本のメディア性とはなにかを歴史・学術・発達・教育・表現・アートの観点から、2時間に及ぶ講義時間&情報量大満載でお届けしました。

帝京大学教育学部「絵本の世界 Ⅰ 」第11回「メディアとしての絵本の位置づけ」を担当するにあたって作成したもの。

パソコン画面のパワポ、そして右から読み上げ原稿、配布資料、パワポ資料。

事後学習のため、読み上げ原稿は講義録として改作し、配布資料とパワポ資料と共に受講者へ配布しています。

また、ウォルター・クレイン『The Baby's Own Aesop』、葛飾北斎画『釈迦御一代記図会』、ちりめん本を出張展示して先生がたと学生に観ていただきました。

講義では「メディアとしての絵本とはどのようなものか」というグループワークも実施。

「絵本は多様な解釈を生むメディア」「絵本では絵を読むことも重要」「絵本は人間を社会化するメディア」「絵本には言葉のテンポも重要」「表現を通してコミュニケーションを生む絵本」などの意見が出ていました。

本講義には『認定絵本士養成講座テキスト』という教科書があります。

当初は、教科書を使おうと考えたのですが、「絵本各論④ メディアとしての絵本の位置づけ」の内容が知的財産権の説明だけになっていて、使い物になりませんでした。

かつてデジタル絵本は絵本なのかという議論があったけれど、電子書籍が普及している現在だからこそ、絵本表現を物質的に支える「本」というメディアの機能を考える必要がある。

マーシャル・マクルーハンが「メディアはメッセージである」と指摘したように、本という形態に見られるメッセージについて考察するべき。

もっとメディアとしての絵本を詳細に説明すべきなので、ほぼ私のオリジナルでお話しさせていただきました。

担当している座学の講義は受講者が70人を超える講義ばかりなのでグループワークを出来ない環境にありましたが、「絵本の世界 Ⅰ 」のグループワークを通して、受講者の興味深い意見を聴きながら、出席者に「絵本のメディア性」を理解してもらえたようだという実感を持てました。

教員も日々勉強です。





  2021年06月27日 TOSHIMA OMNIBUS TOSHIMA CITY IKEBUS

  池袋駅を周回する10本タイヤの黄色いバス。

TOSHIMA OMNIBUS TOSHIMA CITY IKEBUSを乗り回したい今日この頃です。




  2021年06月26日 絵本学会日本絵本研究賞運営委員

  先日拝命した絵本学会日本絵本研究賞運営委員ですが、初のお役目を果たすことになりそう。

当初は1年毎で、現在は3年毎の開催になりましたが、絵本に関する1年分の書籍・図録・雑誌・論文をリスト化する絵本研究参考文献目録編集委員を務めていたので毎年評価できる論文・批評を選びたい気持ちです。



  2021年06月25日 『名画に教わる名画の見かた』

  帝京大学短期大学絵画 Ⅰ 第10回講義は「絵を見る技術」と題して秋田麻早子先生の『絵を見る技術-名画の構造を読み解く』に記される感性と知識の間にある絵画の観察法を紹介しました。

意味を解釈する前に絵を見るとはどういう事か。

画家は計画的に描写表現を見せている。

学生の反応もよかったです。

また本講義の教科書にしている『名画に教わる名画の見かた』は画中画の歴史を記した本。

昨今、物語消費論やデータベース論が再燃し、引用・剽窃・オマージュ・再構築といった表現手法が注目されるようになったので、時期的に面白いかなと考えて講義しております。

ただ絵画史の流れを話すよりもいいかなと。



  2021年06月24日 ご依頼の原稿

  幕末から明治前期の仏教絵本からうかがう廃仏毀釈の実態について執筆させていただいたご依頼原稿の初稿が手元に届きました。

原稿になかった小見出しまで追記していただき、しかも当初の予定とは異なる見開き掲載という大歓喜の変更ぶりです。

素晴らしいレイアウトにしていただき、大変恐縮しております。

人文知と情報学の融合を標榜している私ですが、あらためてメディア・イメージの力は、人間の思考・行動・感情を支配するという事実に惧れをなしております。

たとえば、『今昔物語集』巻15第1話「元興寺智光頼光往生語 第一」は夢の中で見た極楽浄土を絵に描かせた智光曼荼羅の物語。

描かれた絵から実在すると信じられているリアルの極楽浄土を観想するという展開を読んで、フィクション論やARのシームレス化に興味を持った次第でございます。

イメージの力は強力。



  2021年06月23日 新任教員研修プログラム

  帝京大学高等教育開発センターが主催する新任教員研修プログラムのリフレクションシートを書き終える。

ゲスト講師として絵本を語りつくした常磐大学短期大学幼児教育保育学科「子どもと言葉 Ⅰ 」のリフレクションシートをやっと読んでいる。

帝京大学の「絵本の世界 Ⅰ 」第11回講義に活かしたい。



  2021年06月22日 『フィクションとは何か?』の社会的同意

  絵に描かれたリンゴは実物ではない虚像である。

しかしリンゴの絵を見る人はそれを現実のリンゴのように想像する。

この想像はリンゴの絵が実際のリンゴを想像するよう観る者に働きかけるからであり、虚像を現実のごとく扱うごっこ遊び的な想像行為を承認している社会文化的同意があってこそ可能となる。

絵として描かれるものは実物ではなくフィクションの虚像である。

しかし人間はそのフィクションをリアルに存在しているかのように想像する能力を持つ。

そのメカニズムは同じ想像をすることに同意した子どもたちが見立てと模倣を駆使するごっこ遊び(象徴遊び)と同じ想像行為だとウォルトンは指摘する。

ごっこ遊びに参加する子どもは同じ想像をする同意のもと、物を何かに見立て何かの模倣をする遊びに興じる。

こうしたごっこ遊びの前提にはすでに社会的に定着したものもある。

絵画という虚像を現実のものであるかのように語るのもそうした事例の一つ。

絵の見方・読み方は誰かが人工的に創り出した産物。




  2021年06月21日 「交差する東西の智 東西の哲学・思想・文化・サイエンスに関する論文公募」

  今井秀和先生からお知らせいただきました。

2021年度、蓮花寺佛教研究所では「交差する東西の智 東西の哲学・思想・文化・サイエンスに関する論文公募」をします。

この研究助成は、アジアの宗教、思想、文化を研究する優れた若手研究者を支援し、この分野の研究を促進することを目的としています。

リンク 蓮花寺佛教研究所「交差する東西の智 東西の哲学・思想・文化・サイエンスに関する論文公募」




  2021年06月20日 同人誌の著作権

  大規模な同人誌即売会の開催により、研究者によるさまざまな同人誌が販売されています。

しかし研究者のなかには、明らかに知的財産権を侵害している事例もあり、トラブルが起きていることも事実。

上野の老舗「うさぎや」さんも、文豪と交流のあった二代目谷口喜作の無断使用で大変困られているようです。

私もご相談を受けてご助言いたしましたが、著作権が切れていたとしても、商標登録は生きている可能性が十分にあります。

正規ルートの手順や筋を通す必要がありますね。

リンク うさぎや



  2021年06月19日 SFファン交流会6月例会

  SFファン交流会6月例会「SFファンのための絵本サロン」(Zoom開催)に参加させていただきました。

ゲストとして「えほんやなずな」店主の藤田一美さんに、おすすめのSF絵本と桃太郎絵本の変遷についてお話しいただきました。

後半では私も急遽出演させていだき、絵本学会の宣伝をしました。



  2021年06月18日 日本絵本研究賞運営委員会

  絵本学会紀要編集委員兼絵本研究参考文献目録編集委員に引き続き、この度、日本絵本研究賞運営委員会運営委員を拝命いたしました。

日本絵本研究賞は絵本研究や評論、報告活動(実践・調査研究)の活性化を図るため、絵本学会創立20周年を記念して創設された研究賞・奨励賞・特別賞の三部門からなります。



  2020年06月17日 ドローン仏

 
最近はドローンを使った調査ロボットも実用化されているのでいつかは登場するだろうなとは思いました。

ゴーグルをかけてAR(拡張現実)と組み合わせれば極楽浄土を擬似体験できる日も近いかもしれない。

まさに現実世界に信仰世界が現れるシームレス極楽浄土ですね。

世俗化が拡大している現代なので、いかに信仰世界をリアルな体験として感じさせることができるのかは宗教者だけでなく、仏師にとっても死活問題な気がいたします。

大原三千院に安置される阿弥陀如来像の船形天井を見れば、現実世界と信仰世界のシームレス化を図ろうとした意図が読みとれますね。

リンク 宙に浮く“ドローン仏”が神々しい…製作したのは仏師「思った以上にお迎え感がある」



  2021年06月16日 常磐大学短期大学ゲスト講師

  常磐大学短期大学幼児保育教育学科「子どもと言葉 Ⅰ 」第9回のゲスト講師を務めさせていただきました。

幼児保育教育学科准教授の渡辺賢治先生によるイントロダクションの後、私から「子どもと絵本」と題してお話しさせていただきました。

絵本にそなわる絵から言葉へと誘導する仕組み、絵本という媒体の起源、絵本の定義をめぐる様々な学説、近代学校教育制度における実物教授法と図像教育、絵本のアート性とデザイン性とは何かという話題について話しました。

ゲスト講義は子どもの「自発的指差し」行為による絵の認識、子どもの背後にいる両親という第二の読者と絵本にある文字により絵の意味から言葉の意味へ誘導していく絵本の仕組みについて『ブラウンベアファミリーのミニフックだいすきなどうぶつ』を事例に説明することから話しはじめました。

またゲスト講義では、絵本の源流として絵巻物があげる学説が一般的だが、絵巻物は絵本の源流ではないという私の意見も述べました。描写の観点ではそうした見方もできますが、この学説に抜け落ちているのは絵巻物が巻物で、絵本はページをめぐる本だというメディアと、それにより生じる表現の違いです。


絵本学の先行研究を見ていると、絵本の概念定義では「書籍」というメディア形態にかなりのこだわりを見せる研究が圧倒的なのに対し、絵本の歴史に関する研究では「書籍」というメディア形態へのこだわりが薄くなるので、絵巻物は絵本の源流ではないという自分の学説をあえて挑戦的に話した次第です。

6月末に帝京大学「絵本の世界 Ⅰ 」で「メディアとしての絵本」という講義を行うため、絵本のメディア性を綿密に検証しているところなので、美術用語の「支持体」となるページをめくりながら読み進めるページネーションを生み出す書籍というメディア形態について意識的に考えているところなのです。


講義前の打ち合わせでは、なぜかデジタルメディアとサブカルコンテンツの話題に。

現実世界とデジタル空間の継ぎ目があいまいになり、人間が知覚する現象にデジタル情報が組み込まれていく状況をシームレスと呼びます。

今後、シームレスは実在しないフィクションが現実世界に存在しているように見せかけるコンテンツ展開において顕著に見られるだろうと話してみたら大変盛りあがりました。




  2020年06月15日 『近代仏教』第28号の書評

 
日本近代仏教史研究会の『近代仏教』第28号(2021年5月)に私が書かせていただいた書評「大澤絢子『親鸞「六つの顔」はなぜ生まれたか』」が掲載されました。

書評では「一般教養向けの選書」という本書の目的と性格をふまえた上で、ジャック ザイプスの「改訂的再話」、ヤン アスマンとアライダ アスマンの「文化的記憶」及び「神話原動力」といった比較文化・歴史学の理論を用いて学術的補足を加えました。

また私が編著を務めた「森覚編『メディアのなかの仏教-近現代の仏教的人間像』」の書評を碧海寿広先生に書いていただきました。




  2020年06月14日 バルト「作者の死」とは何か

 
近代の作家像は作品の表現と解釈を決定づける創造主=神という位置づけであった。

しかしそもそも作家は社会的な影響を受ける個人であり、すでに制度化され、社会に定着している表現や解釈を利用して作品を生み出しているに過ぎない。

ロランバルトの「作者の死」は作者による引用を暴き出す試みとなる。

ロランバルトは作者という権力を解体するべく、「作者は社会的影響を受ける個人である」という主張を論理的命題にすえる。

つまり作者は個人の才能により作品を創造支配する存在ではなく、すでに社会に制度的に定着する言語表現や価値観を再利用(ブリコラージュ)している存在に過ぎないということ。


  2020年06月13日 共読ライブラリー

 
帝京大学短期大学より「共読ライブラリー」という読書週間推薦図書の執筆依頼があった。

お手紙によると私の研究は面白いことをしているそう。『妖怪なんでも入門』しか読んでいないが、こんな私でもよろしければ書かせていただきます。

『日本の夜の公共圏-スナック研究序説』はさすがに怒られるよね。


  2021年06月12日 絵本はアートか?

 
印刷媒体である絵本がアートだと考える二つの根拠。

それは19世紀末から20世紀にかけて美術学校に図案科が設置され、商業デザインに正規美術教育を受けた画家が参入すること。

二つ目は1960年代のポップアートから複製技術が美術表現に取り入れられ、印刷物に美術的な価値観が見出されたこと。

大正期から昭和期になると、『少年倶楽部』や講談社の絵本シリーズなどで美術学校卒業の画家たちが活躍する。

なかには白馬回の洋画家だったのに映画の舞台美術を仕事にした齋藤五十枝のような人物も。

戦後になるとウォーホルまで絵本を手がける。

まさに絵本は複製技術時代の芸術といえるでしょう。

14日に行う常磐大学「子どもと言葉 Ⅰ 」出張講義ではコメニウスの『世界図会』とペスタロッチの実物教授法に基づく絵を通じた言葉と数の理解を目的とする日本の図像教育。

更に絵本は何故アートと呼べるのかということを図案科の設置と商業デザインに進出する画家の観点から検討していきます。


  2021年06月11日 仏教文化におけるメディア研究会定例会

 
大正大学綜合佛教研究所「仏教文化におけるメディア研究会」定例会を開催。

現時点で3回開催しております。

第1回定例会は代表の私が「近代におけるメディアの転換と仏教文化について」を発表。

第二回定例会でも、「仏教表現としての宗祖像」と題して私が報告。

そして第3回定例会は「三木清と岩波文化」と題して嶋田毅寛先生にご報告いたしました。

閉鎖的言説空間であるアカデミズムの学知を一般社会に発信するメディアとなった岩波文庫の役割を議論しました。

先行研究に多い宗教者や知識人の言説だけでは見えてこない近現代仏教の諸相を探るのが第三期の論究課題です。


  2021年06月10日 美をめぐる思想・価値観の変容

 
帝京大学「絵画 Ⅰ 」第8回講義では西洋絵画の宗教画を取りあげました。

神の似姿として描かれるイコンはキリスト教の東西分裂により東方正教会の平面表現と西方教会の立体表現に分かれていきます。

また古代ギリシャの神人同形論に基づく、実は宗教由来の裸体画というジャンルについても説明しました。

裸体表現はオリュンポスの神々の完全な身体を再現する創作行為として始まり、裸体像は神への奉納品として捧げられました。

それがキリスト教的禁欲主義による断絶を経て、ルネサンス期に再興され、アカデミズム芸術では美の制度化に取り込まれ、19世紀には画家の主義主張を具現化する表現になります。

明治日本では近代西洋美術の制度として裸体画が導入されますが、その際には西洋芸術の歴史や思想を踏まえず、あくまでも表現ジャンルとして取り込んだだけでした。

このため、ジャンルとしての思想や価値観がすっぽり抜け落ちた意味不明の裸体画は黒田清輝の「腰巻き事件」を起こし、論争を呼びます。

今回は該当する作品表現を確認しながら、美をめぐる思想・価値観としての宗教画と裸体画について見ていきました。

肝心なのはこれらのジャンルに与えられる美の基準が時代によって変化してきたこと。

元々、裸体画が宗教を起源にするジャンルだったことは受講生も知らなかったようです。

美術の歴史を紐解けば、創作動機、画題やモチーフ、表現行為に反映されたアイディア、ある社会的な階層に共有される美の基準が宗教というものに大きく左右されていることが明らかになります。

風俗画・風景画・静物画ももとは宗教画から派生しているので美術と宗教の連関性は重要であると考えています。

「絵画 Ⅰ 」は美術の枠内で話していますが、後期「絵画 Ⅱ 」で商業分野に進出する画家へ注目するのは私の専門分野でいえば美術の範疇に留まらない多元的な表現・信仰・思想・価値観・イメージが存在することを示すため。

時代を経てもほぼ普遍な文化、また時代とともに変容する文化があるわけです。


帝京大学の「絵画 Ⅰ 」は人間の創造行為を美術という枠組から更に拡大し、思想・価値観・通念・習慣・世相・生活・制度・国家・経済・階級・性別などといった社会との関わりの中で観ていくという意味で、私の中では先進的な試みであると考えております。

宗教表現もまた社会的産物であると言いたい。


  2021年06月12日 ジャータカ物語「乱暴な王さま」

 
(公社)日本仏教保育協会編『お父さんお母さんへの応援歌 ほとけの子』7月号No.676(宣協社刊)に「昔のインドのおはなしジャータカ物語」を掲載していただきました。

今回はジャータカ第240話を原作に再話した「乱暴な王さま」というお話しです。

盂蘭盆なので地獄の話を取り上げました。


  2021年06月10日 日本の河童伝説

  大正大学の「知の加工術5」第5回でマイクロソフトのパワーポイントを取り上げました。

アプリの主な機能を紹介するため、「日本の河童伝説について 曼荼羅淵の河童」というプレゼンテーションファイルを即興で制作し模擬発表することに。

情報処理系の講義なのに埼玉県の河童伝承について話しました。

埼玉県は伊草の袈裟坊、笹井の竹坊、小畔の小次郎、小沼のかじ坊がいる河童天国。

毎年5月になると曼荼羅淵に住む雌の河童はお中元として人間の生き肝を袈裟坊と竹坊に贈っていたそうです。

私は曼荼羅淵の崖上で何度も宿泊していますが、見たのは河童ではなく枕元に立つ白い大日大聖不動明王くらい。


  2021年06月05日 仏教文化におけるメディア研究会 第2回定例会

  仏教文化におけるメディア研究会第2回定例会を開催いたしました。

教団・宗教者・知識人の言説や歴史からは見えてこない大衆メディアで表現された混在する仏教の諸相、国民精神の涵養から物質文明批判にいたる精神文化としての仏教、メディアから仏教を受容する近代の都市生活者について話しました。


  2021年06月02日 20世紀のメディアコンテンツ

  現在、大学で担当している「情報と職業」では、人間の産業構造と、仕事における情報の取り扱い方を変化させてしまったメディアテクノロジーの発達について見ています。

1832年にシリング式電信が発明されて以来、通信分野では、グラハム・ベルによる電話機(1876年発明)、フェッセンデンによる無線電話の発明から実用化されたラジオ放送(1906年実用化)。

音響分野では、エジソンのフォノグラフ(1877年発明)。

映像分野では、1839年に発表されたダゲールのダゲレオタイプによる銀板写真、エジソンのキネトスコープ(1891年発明)による映画時代の幕開け、1897年のブラウン管発明によるテレビシステムの開発。

そして印刷分野では、1905年にアイラ・ルーベルがオフセット印刷を発見し、技術として完成させています。

文字・図像・音響・動画といった表現メディアを情報拡散するために生み出されたメディア技術の成立年代を見てみると、その多くが19世紀に発明され、20世紀へ移行する1900年-1901年を境に実用化されていったことが分かります。

このメディアテクノロジーがもたらしたのは、対人対面で情報を交換する直接的なコミュニケーションに加えて、物質化し通信化するメディアテクノロジーを挟んだ関節コミュニケーションという新たな選択肢を生み出したことです。

メディアテクノロジーの進歩は、特定の個人に向けたパーソナルメディア、不特定多数の人間に大量の情報を一方的に発信するマスメディア、個々人が互いに情報発信できる双方向性を持つネットメディア、モバイル端末機器を用いて、電波が届く範囲ならばどこでも情報を発信受信できるモバイルメディアといったメディア形態を成立させました。

そして、コンピューターが認識できる0と1の二進数でデータを数値化するデジタル化が一般的になると、情報は保管場所を気にすることなく簡単に複製され、ビッグデータとして活用されるまでになりました。

こうした20世紀以降に発達したメディアテクノロジーとともに、コンテンツ制作と展開も大きく変化しています。

私が関心を示しているのは、こうした20世紀のメディアにおいて、コンテンツに見られる宗教表象がいかに生成され、変容していったのかと扱われ方の文化史です。

新しいメディアテクノロジーによって、コンテンツレベルでは、いかなる表現が可能になり、それを観る者がどのような受け止め方をするようになったか。

たとえば映画のドルビーサウンドの臨場感は、表現と受容に関わる重要なメディアテクノロジーになります。

また、もっと大きな視点から見れば、近世メディアの宗教表象からの継続性と断絶性、複製技術により大量コピーされていく宗教表象の質的変化、大量に生産され、消費されていく情報としての宗教表象をめぐる扱われ方など、さまざまな問題が見出せます。

20世紀以降の新たなメディアテクノロジーを用いて、宗教表象はいかに創造され、受容され、共有され、解釈され、利用されていったのか。

メディアと表象について考えています。



  2021年05月27日 まやかしとしての透視図法

  絵画 Ⅰ 第6回講義で話したこと。

平面上のカンヴァスに立体空間を表現する透視図法はいわば立体のように見せかける隠喩表現です。

しかし人間は擬立体表現を観てそこに立体感を想像します。

こうした感覚や捉え方はある時代に創られた歴史的産物であり、教育により刷り込まれたものの見方になります。



  2021年05月24日 招聘講師

  6月はゲスト講師が二つあります。

14日は常磐大学短期大学「子どもと言葉 Ⅰ 」第9回講義で「絵本とことば」について話させていただきます。

また、30日は帝京大学「絵本の世界」第11回で「絵本各論④ メディアとしての絵本の位置づけ」を担当いたします。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


  2021年05月20日 仏教文化におけるメディア研究会第1回研究会運営委員総会

  5月19日(水)18時より大正大学綜合佛教研究所「仏教文化におけるメディア研究会」の第1回研究会運営委員総会をオンライン開催しました。

当日は7名の会員にご参加いただき、「娯楽と日本仏教」と「複製技術時代と宗教表現」という二つの研究プロジェクトについて説明させていただきました。


  2021年05月17日 第23回・第24回合同絵本学会大会

  愛知県への緊急事態宣言発令に伴い、5月30日に刈谷市総合文化センターで開催予定だった第23回・第24回合同絵本学会大会はZoomでのオンライン開催となりました。

第23回熊本南阿蘇大会に続く苦渋の決断ですが、第24回大会は開催されるだけでもありがたいですね。



  2021年05月16日 西洋の菩薩チョーマ

  大正大学13号館にはハンガリーの東洋学者であるアレクサンダー・チョーマ・ド・ケーレスの銅像が安置されています。

チョーマ像は1933年にハンガリーの東洋学会より寄贈されたものでオリジナルは国立博物館に収蔵されています。

寄贈式典の際、大正大学はチョーマを西洋の菩薩として認定しました。

2020年まで大正大学13号館は図書館棟でしたが、現在は私が勝手に「マチョー先生」というあだ名をつけ、13号館の5階建ビルヂングを「チョーマの仏塔」と命名しております。

衆生に寄り添う知恵の菩薩として1階玄関で皆様をお出迎え。会いに行ける西洋の菩薩はハンガリーの歴史的偉人なのです。





  2021年05月15日 共同研究プロジェクト

  仏教文化におけるメディア研究会は共同研究グループとして立ち上げましたが、現在「娯楽と日本仏教」ともう一つの研究プロジェクトを進行しています。

もはやグループで一つの共同研究に取り組む体制ではないので、第三期活動は共通の目的を持つ研究者で組織された継続的な結社として運営します。



  2021年05月14日 ジャータカ物語「ムッカカの木」

  発行元の宣協社様より(公社)日本仏教保育協会編『お父さんお母さんへの応援歌 ほとけの子』No.675をお送りいただきました。

6月号の「昔のインドのおはなしジャータカものがたり」はジャータカ第121話を再話した「ムッカカの木」です。

今回は文字数が多く、挿絵が入りませんでした。



  2021年05月08日 何が「香り」を「芸術」たらしめるのか?嗅覚に切り込むアートセミナー

  『何が「香り」を「芸術」たらしめるのか?嗅覚に切り込むアートセミナー』

日時:2021年5月9日(日)12:00より

会場:Shibuya QWSオンライン配信

お申し込み先: https://20210509academia.peatix.com

主催:SHIBUYA QWS Innovation協議会/ 東京大学教養学部附属教養教育高度化機構社会連携部門

共催:東京大学

『香りの比較文化誌―東の「香」から西の「アロマテラピー」まで』という本を編著した我が師匠は西洋哲学において嗅覚や香りは軽んじられてきた感覚だと言っていた。

たしかにプラトン、アリストテレス、カント、ショーペンハウアーからは取るに足らない感覚とされ、審美の対象にもされなかったという。



  2021年05月06日 童話の創作

  今年の1月から昔話を再話した童話を書いている。

書きはじめて思うのはどこまで原作に忠実であるべきか。

またいかなる場面を重点的に表現してプロット全体のバランスをとるのか。

どの程度までアレンジを加えるべきか。

言語表現について熟慮すべきなのは当然だが、童話なのでまた違った配慮が必要。



  2021年05月05日 共同研究会の定例会とプロジェクト研究会

  仏教文化におけるメディア研究会第三期は綜合佛教研究所研究員を中心にした定例会と、以前は月例会と称していた研究プロジェクト部会を軸として5月より本格的に活動します。

研究分担者の先生方にはご迷惑をおかけしますが、コロナ禍の再拡大が懸念されるのため、本年度もオンライン研究会になります。



  2021年05月03日 複製技術時代の宗教表象

  20世紀以降、宗教者や知識人だけでない多領域の人間が複製技術時代と大量消費社会のメディアを通じて創出する宗教表現の考察は、「娯楽と日本仏教」プロジェクトと同時並行の別プロジェクトとして、継続的に進めたい研究テーマ。

昨年度より、大正大学で仏教表現研究Bの講義を担当し始めてから、余計にその思いが強くなりました。

ここでいう複製技術時代のメディアとは、オリジナルの1点ものではなく、同じ形状の表現が大量に複製生産され、大量に流通し、大量に消費されるものをいいます。

そういう性質のメディアによってコンテンツ化され、商品として消費されていく複製技術時代の宗教表現と宗教文化を考える必要性はあると思います。

複製技術時代のメディアが生む宗教表現は、オフセット印刷、同型鋳造、現代建築、デジタル情報、通信ネットワークなど、様々な領域に溢れています。

そうした大量生産される宗教表現の考察では、複製物ゆえに揺らぐ信仰対象としての宗教性、美術的価値の希薄化といった問題にも言及できるのではないでしょうか。

たとえば、絵本やマンガで表現される創唱者、大量生産される開祖の野外銅像、既成建材を使う現代建築としての宗教施設、観光地のパンフレット、宗教美術のデジタル化、宗教フィギュアといった事例。

こういった現象は、ベンヤミンのオリジナルが持つアウラとか、ウォーホルのポップアートとか、ボードリヤールのシミュラークルにも接続できるのではないかと考えています。

ここしばらく「精神文化」の話も考えていましたが、これも複製技術時代のメディアが生み出す宗教表現の問題に組み入れていけるのではないかと思い始めています。



  2021年04月30日 歴史的偉人像

 
メディアを通じて語り継がれる歴史的偉人像にはどこかの時代で特定の意図に基づく創りかえがなされます。

象徴的意味を強調した偉人像をメディアが提示する場合、誰かが意図的に混入させたコノテーション的意味の潜む可能性が高いのです。偉人像の創りかえは人間に影響を及ぼすメッセージ。

メディアが表現する偉人像に潜むコノテーション的意味は宗祖像という宗教表現からも読みとれます。

たとえば日蓮像に日蓮系宗派の価値観が読みとれることは明らか。しかし深読みをすれば近代の日蓮像からは救国の僧侶、愛国主義者、大和魂といったコノテーションが読みとれたはずです。

事実、明治前期の草双紙には博多湾に直々に赴いた日蓮が対馬と壱岐の蒙古軍を法力によって壊滅する表現があります。

つまり、護国の僧侶というコノテーションがあったという事です。

どのような価値観や通念を人々にすり込みたいかにより、模範的で理想的な人物としての偉人像は創り変えられていきます


  2021年04月29日 潜在的意味を読み解く記号学

 
帝京大学短期大学「絵画 Ⅰ 」第3回は「潜在的意味を読み解く記号学」と題し、フェルディナン・ド・ソシュールの一般言語学とロラン・バルトの一般記号学を紹介。





イメージ表現に潜在する象徴的意味のコノテーションが人々の思考・行動・情動・思考をいかに誘導し、束縛し、支配しているのか。

特別な知識がなくても読みとれる意味はデノテーション。

そのデノテーションの意味から読みとれる象徴的意味がコノテーション。





「バラ」という記号からは「植物の薔薇」というデノテーションの意味が生まれ、「植物の薔薇」からは「愛」「情熱」といった薔薇の象徴的な意味が読みとれる。

「植物の薔薇」というデノテーションから「愛」「情熱」といったコノテーションが読みとれるからこそ、バレンタイン、プロポーズ、結婚記念日を理由とした薔薇関連の商品を販売するビジネスが成立します。





人間の思考と行動は誰かが創出した記号の象徴的意味に誘導され、支配されています。

ロラン・バルトは一見すると分からない、文化現象やイメージ表現に潜み、人間の行動や情動を支配する記号メッセージを暴きました。

しかし人々を誘導する目的を表明した表現もあります。

人間に観光行動を引き起こさせる表現物の事例として、コンテンツツーリズムを取りあげました。

「絵画 Ⅰ 」は絵をテーマにした講義なので、コンテンツツーリズムの事例はパンフレット、看板、マスコット、着ぐるみ、ウェブサイトなどのヴィジュアルイメージに限定しました。

絵画にも信仰世界を見せる宗教画、政治権威を示す作品、報道絵画、アカデミーの価値観を表現する絵画があります。

ロラン・バルトが試みたコノテーションの機能。コンテンツ・ツーリズムに見られる表現が人を誘導する力の事例にする事で、絵画作品にもヴィジュアルイメージが人々の嗜好・行動・情動をコントロールする機能があることを受講生に伝えました。

絵画表現からもコノテーションが読みとれるということです。


  2021年04月25日 メディアと宗教表象

 
帝京大学で開講している「情報と職業」第3回講義の準備がほぼ終了。

今回はメディアの特質と歴史。19世紀から出現した新メディアにより大きく変化した人間のコミュニケーションスタイルと産業構造について話します。

準備ではマクルーハンからベルディングまでおさらい。

これから「絵画Ⅰ」の準備。文字・画像・動画・音響・マルチメディアなど、媒体ごとで異なる表現伝達技術により、人々が目の当たりにする情報の質や印象は異なる。

それは同じ作品でも小説か、映画かで受け止め方に差異が出るのと同じ。「メディアはメッセージである」と「メディア支持体」とに通底するメディア論の主張に唸る。

正直、この講義をするようになってメディアと宗教表象の問題を技術的側面から考えるようになりました。

メディアが生み出す宗教表現は儀礼・芸能・美術など様々な場面で超自然的存在と交流・交感する媒介物として機能してきました。

しかし20世紀以降の複製技術時代・大量消費社会におけるメディアはいかなる目的で、どのような機能を意図して、宗教表現を生み出してきたのか?それが気になります。

20世紀以降の複製技術時代・大量消費社会におけるメディアが生み出す宗教表現は超自然的存在や霊的なものと交流・交感する目的で創造されたものがあったとしても、それだけに限定されない用途の方がさまざまあるはず。

仏教文化におけるメディア研究会ではそうした領域に注目したいのです。複製技術・大量生産・大量消費を前提とする20世紀のメディアで宗教を表現することは宗教的メッセージを多くの人々に波及させる目的が顕著にあるにせよ、それがどういう局面で、いかに宗教を表現するのか。

また副次的な制作意図があるのかというのは論究していった方がよいのかなと考えているところです。



  2021年04月24日 『媒介物の宗教史』

 
津曲真一・細田あや子編『媒介物の宗教史』上下巻(リトン)。

人間が超自然的な存在や霊との交流・交感し、人間同士の宗教的つながりを持つことを可能とするさまざまな〈媒介物〉としての「もの」について論じた研究論集。

宗教現象、宗教的実践や習慣の中に見出される「もの」の媒介機能を考察する。

2014年に新国立美術館と国立民族学博物館で「イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる 国立民族学博物館創設40周年記念 日本文化人類学会50周年記念」という展覧会が開催されていましたが『媒介物の宗教史』はそれに近い時点で宗教的媒介物を論じています。

仏教文化におけるメディア研究会も「イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる」展から多大なる影響を受けています。

イメージ・表象を媒介として人間はいかに宗教現象を表現し、また宗教表現を通じて超自然的存在をどう体感し解釈してきたのか。

イメージ人類学で論じられてきた研究テーマ。

我々の仏教文化におけるメディア研究会はメディアに表現された宗教表象から時代ごとに移り変わる宗教文化、様々な諸文化と交わりながら多様化する宗教の捉え方を明らかにしていく方向性へと移行していきましたが、基本的な研究テーマはイメージ人類学の諸研究、吉田憲司先生、長屋光枝先生からの影響を受けています。

帝京大学の講義「情報と職業」で教科書指定している『情報メディア論 テクノロジー・サービス・社会』(講談社)では発話や身振りをし、情報を知覚する器官がそなわる人間の身体そのものをメディアに位置づけています。

また『イメージ人類学』(平凡社)ではイメージを運ぶメディアとして人間の身体を論じています。

メディアと身体の関係は興味深い。

共同研究会を立ち上げる際に設定した基本テーマはイメージ人類学というよりも、「イメージの力―国立民族学博物館コレクションにさぐる」の図録で読んだ吉田憲司先生と長屋光枝先生からの影響といった方がより正確です。

メディアとしての身体や「メディア支持体」等イメージ人類学からの影響もありますが。




  2021年04月23日 仏教文化におけるメディア研究会 中間報告

 
令和元年度[共同研究]綜合佛教研究所研究助成報告「仏教文化におけるメディア研究会 中間報告」の抜刷が出来あがりました。

コロナ禍を経て刊行された『大正大学綜合佛教研究所年報』第42号に掲載されています。

仏教文化におけるメディア研究会第二期の共同研究テーマについてまとめています。


  2021年04月22日 「メディアの中の温泉地と文化の位相-東北地方における『温泉むすめ』の展開-」

 
常磐大学准教授の渡辺賢治先生より「メディアの中の温泉地と文化の位相-東北地方における『温泉むすめ』の展開-」(東北芸術文化学会誌『芸術文化』第25号)をご恵贈いただきました。

本稿では理論的基軸となるケンダル・ウォルトンのフィクション論に関して、私より助言させていただいております。




  2021年04月20日 学生からの質問

  本日の帝京大学・帝京短期大学では「情報と職業」「情報処理Ⅲ」「絵画 Ⅰ」の第二回講義があります。

コロナ禍の昨年度は音声データによるオンデマンド講義でしたが、本年度はパワーポイントも作成し、準備万端で臨みたいと考えております。

帝京大学で開講している「情報と職業」は経済学科・経営学科・観光経済学科という三学科向けの講義として開講しています。

さまざまな職業に関わる情報テクノロジーについて取りあげる内容ですが、観光と情報、コンテンツ・ツーリズムにおけるITの活用という話題も取りあげようかなと考えています。

観光と情報、コンテンツ・ツーリズムとITという講義テーマだと、ウェブサイト、オンライン予約、GPS、PDF、QRコード、AR(拡張現実)、スマートフォンを利用した音声ガイド、デジタルネットワークと地上戦を連動させた情報発信など、さまざまな話題が提供できると思います。

今回の帝京大学「情報と職業」第2回講義テーマは「情報としてのメディア」。

主に情報とメディアの定義について話します。情報と職業との関わりを話す前にまずは重要用語の確認です。

あらゆる職業人はインテリジェンスとしての情報(知識)を創り出し、サービスを提供していることについて説明します。

また、「絵画 Ⅰ」ではイコノロジーについて話しました。

イコノロジーについて取り上げた「絵画 Ⅰ 」では学生から「イコノロジー的分析で現代アートは読めますか?」というよい質問がきました。

イコノロジー的分析の有効範囲は19世紀のアカデミック美術まで。

理論的に見れば、イコノグラフィー的分析の第二段階で限界がくるでしょうから。

アトリビュートという表現をどのようなものとして捉えるかによって現代アートの読解にイコノロジー的分析法を適用できる場合もあるとは思います。

しかしイコノロジーをイコノグラフィーの発展形と見れば、やはりアトリビュートを描いていた19世紀あたりまでが一般的に限界なのかなと話していました。

こうした学生から質問もあったので、次回「絵画 Ⅰ 」第3回講義ではイコノグラフィー的分析にこだわらない読解法を見ていこうかなと。

ロランバルトのイメージの修辞学をはじめとしたイデオロギー批判や、まずは表現そのものを見る『絵を見る技術-名画の構造を読み解く』などを紹介しようと考え中。





  2021年04月18日 ジャータカ物語の連載

  拙著「昔のインドのおはなしジャータカ物語」が連載中の(公社)日本仏教保育協会編『ほとけの子』(宣協社発行)では本年度4月号から子どもが描く仏さまの絵が表紙となっています。

そういえば2011年の「宗祖法然上人800年御遠忌」では知恩院に展示された法然の児童画を観ました。

全国の仏教系幼稚園・保育園では仏さまや宗祖の絵を子どもたちに描かせることがあります。

私は勝手にこれを仏教児童画と呼んでいますが、あまり学術研究が進んでいない分野でもあるかと思います。

今後、地蔵菩薩、観世音菩薩など色々な仏さまが『ほとけの子』に登場するのかな。よい企画だと思います。


  2021年04月17日 科研費の延長

  日本学術振興会科学研究費助成基金助成金基盤研究(C)「近現代の仏教絵本におけるブッダのイメージ研究」の実施状況報告書を作成し、本来は最終年度になるはずだったコロナ禍の2020年度を振り返ります。

研究調査が制限されるなか、研究論文を2本掲載できたことは救い(1本は科研費と無関係)。


  2021年04月16日 理論的な思考法

  研究で理論的な話題を投げかける事が多い私ですが、そうした傾向は師匠であるシャウマン ヴェルナー先生の影響があります。

先生には学術研究ならば理論を踏まえた事例考察が必要というポリシーがありました。

これは文学も文化学も美学も哲学の範疇に組み入れるドイツの大学で培われた思考法。

シャウマン先生のポリシーに接して感じたことは演繹法、帰納法、アブダクションなどの論理法があるように、個々の事例を認識し、それらに統一的な道筋をつけた法則性を見出す西洋哲学の根源的な在り方と思考法が脈々と忠実に受け継がれている事実。

ロジカルな思考性に衝撃を受けた大学院生の私。

大学院時代の私は事例を蒐集していくのが好きな研究スタイルでしたが、人文学を含めた西洋哲学的な思考法を目の当たりにして学術研究は理論を軸にして体系化し、そこに法則性を見出さなければならないことを知りました。

敬遠されがちな理論や法則化ですが、それこそ学問の根本なんだなというわけです。






  2021年04月14日 人事異動

  春は人事異動の季節。

仏教文化におけるメディア研究会にご参加いただいている研究分担者の先生には所属が変わられた方もいらっしゃるので、改訂した名簿を大正大学綜合佛教研究所へ提出してまいりました。

4月に総会があり、実質的には5月以降から定例研究会を開催することになると思います。

仏教文化におけるメディア研究会第三期活動では5月のまん延防止等重点措置解除以後、「複製技術時代と仏教」プロジェクトを推進する綜合佛教研究所研究員を主体した定例会を開催する予定です。

同時にオンライン研究会として「娯楽と日本仏教」プロジェクトを展開していきます。

公開研究会も検討中。


  2021年04月14日 帝京大学八王子キャンパス

 
帝京大学八王子キャンパスに行きました。

第一回講義はラーニング・マネージメント・システムを使ったオンデマンド講義だったので、無人の教室で機材の操作を確認しながら、3講義分の音声データを収録しました。

教員はまばらでしたが、学生はクラブ勧誘。面白そうだったのはガチャガチャ研究会。



  2021年04月13日 シニフィアンを見ること

 
メディアの視覚表象を考察する際、コンテクストを読み解くというイデオロギー批評的な視点は様々な意味(コノテーション)をもたらす。

しかし、そうした意味を読みとる前に、まずは図像や映像の表現そのものを観る事はもっと重要。

つまりソシュールの記号モデルでいえば記号表現(シニフィアン)の方。

言葉の帳尻をとらえても仕方ないのですが、イメージというと像なので表現が先行している感があります。

しかし象徴/表徴/表象/シンボル/記号というと、やはり何かしら意味を示すという点で意味への意識が先行してしまいます。

私が「表現」という言葉を使うのも言葉の意味で揺れ動いているからです。


  2021年04月12日 2021年度の講義

 
2021年4月13日より開始する帝京大学では、現代の職業に情報技術がいかに関わっているのかを学ぶ情報と職業、デスクトップデータベースを構築する情報処理 Ⅲ 、画中画を通して西洋絵画の引用表現について見ていく絵画 I の3コマを担当します。

2021年度帝京大学短期大学前期開講の絵画 Ⅰ では『名画に教わる名画の見かた』と『西洋絵画のひみつ』を教科書にします。

西洋絵画における描くという行為の変遷。画中画を通して引用やオマージュ、剽窃といった表現を考えましょう。画家個人の才能というのが近代的な価値観である事を話します。

帝京大学後期はフリーソフトを用いて図形と画像を制作してみる図形処理と画像処理、HTMLとCSSによってホームページを制作する情報処理 Ⅳ プログラミング、日本美術の概念と諸ジャンルの的成立を背景として商業分野で活動する画家の動向を見る絵画 Ⅱ を担当いたします。


また、2021年4月14日から開始する大正大学春学期では、Accessを通してデスクトップデータベースを構築する情報処理D、コンピューターの基礎知識を学ぶ知の加工術1、パーソナルコンピューターの基本操作を習得する知の加工術5を担当いたします。

2021年度、大正大学で開講される仏教表現研究Bは秋学期から。

本講義では同時代の世相、思想・価値観・通念に基づき、マンガ・童話・絵本が生み出した仏教表現を表象文化論・比較芸術論・メディア論・イデオロギー批判・コンテクストなどの観点から読み解き、社会と文化の中の仏教を考えます。


  2021年04月11日 二つの研究プロジェクト

 
20世紀以降、宗教者や知識人だけでない多領域の人間が複製技術時代と大量消費社会のメディアを通じて創出する宗教表現の考察は「娯楽と日本仏教」と同時並行の別プロジェクトとして継続的に進めたい研究テーマ。

大正大学で仏教表現研究Bの講義を担当し始めて余計にその思いが強くなった。

複製技術時代のメディアはオリジナルの1点ものではなく、同じ形状の表現が大量に複製生産され、大量に流通し、大量に消費されるものを云います。

そういう性質のメディアによってコンテンツ化され、商品として消費されていく複製技術時代の宗教表現と宗教文化を考える必要性はあると思います。

複製技術時代のメディアが生む宗教表現はオフセット印刷、同型鋳造、現代建築、デジタル情報、通信ネットワークなど様々な領域に溢れています。

また大量生産の宗教表現は複製品ゆえに問題視される信仰対象としての機能や、美術性の問題にも言及できそう。

「複製技術時代と宗教表現」プロジェクトです。

なお、仏教文化におけるメディア研究会では研究会開催スケジュールの都合により「娯楽と日本仏教」とは別のプロジェクトにも取り組まなければなりません。

やはり大正大学の仏教表現研究Bに加え、帝京大学の絵画Ⅰと絵画Ⅱを担当して着想を得た「複製技術時代と宗教表現」プロジェクトは実現させたいところ。


  2021年04月10日 絵本とアートとマンガ

 
文教大学名誉教授の中川素子先生といえば「絵本はアート」というフーレズが有名です。

これは私の考えですが、絵本のアート性は、ベンヤミンの複製技術時代、ウォーホルが意識した大量消費社会のメディア複製技術に支えられた価値観です。

肉筆でない限り、現代絵本は複製を前提としたアートだからです。

また絵本といえばマンガとのかかわりも重要。

『マックスとモーリッツ-七つのいたずらの話』は絵本だとかマンガだとかで紹介されます。

しかし同じコマ的なシークェンスを持つ『もじゃもじゃペーター』がマンガだとは紹介されません。

後世の研究者がどの立場から見るかで変わると言えばそうなのですが、絵本やマンガの歴史にとって重要な問題。


  2021年04月09日 『絵本学』No.23

 
絵本学会硏究紀要『絵本学』No.23には研究論文1本、研究ノート1本、「報告:2020年絵本研究参考文献目録」、「報告:2020年絵本原画展・絵本画家展リスト」が掲載されています。

なお、3年間の任期満了に伴い、本号をもちまして紀要編集委員を退任いたします。

ありがとうございました。

また、6月には、大会も開催されます。


第23回・第24回合同絵本学会大会
大会テーマ|東日本大地震から10年、コロナ禍での絵本表現を見つめる

期日|2021年5月30日(日)9:50受付 10:30開始

会場|刈谷市総合文化センター4階・5階

参加費|会員・準会員:500円 一般:1000円


  2021年04月08日 灌仏会

 
灌仏会なのでブルーメンフェストしてきました。



コロナ禍もあり、両手を消毒した八大龍王のウパナンダならぬカクナンダは花御堂の前に立ち、ひしゃくで誕生仏へ甘露の雨を灌ぎました。

仏さまからのメッセージは「あなたの心で地球を救ってください!」です。

SDGsのごとく壮大な使命になりますな。





  2021年04月07日 『形の文化研究』第13号

 
形の文化会硏究紀要『形の文化研究』第13号では「特集 バウハウス100周年「危機を戦う者たちのバウハウス」」が組まれています。

冒頭を飾るのはアートディレクターとして著名な浅葉克己先生による「デザインは死なない-バウハウス100周年「危機を戦う者たちのバウハウス」開催によせて」。


  2021年04月06日 「娯楽と日本仏教」プロジェクト

 
仏教文化におけるメディア研究会第三期「娯楽と日本仏教」プロジェクトでは近代という時代を軸に、マスメディア、エンタテイメント、ツーリズム、イベント、趣味的消費活動を含む娯楽的メディア表現を通して人々が接し共有した仏教の表現・イメージ・現象・思想・価値観・通念に注目します。

つまり、人間が娯楽(レジャー)という場での活動から生み出す、メディアを通じて言語化され、形象化され、伝達され、記録された表現のなかの仏教、エンタテイメントのなかの仏教、ツーリズムのなかの仏教、イベントのなかの仏教、趣味的消費行為のなかの仏教などを探っていく試みとなります。

共同研究の課題は宗教者や知識人が語る仏教だけでなく、遊び心、楽しみ、面白さを伴う娯楽性に重きを置くメディア表現を通して、人びとが接した仏教とは何だったのか。

また、そうしたメディアの仏教表現を手がかりとして、人びとはどのような宗教文化を生み出しきたのかについて明らかにすることです。



  2021年04月05日 絵本の原画とは何か

 
西武百貨店池袋本店の「平良志季展」で八大龍王、竹取物語、龍、招き猫、妖怪等の絵画を鑑賞。

複数の絵画により連鎖的に物語を示す竹取物語の連作が印象的。

情報として蓄積された古典的画題や表現を引用し、再生産するような作風は東浩紀先生のデータベース消費論的な匂いがしました。

勉強になります。

印刷され、製本された状態が完成品である絵本は複製技術時代と大量消費時代の美術です。

絵本の原画に美術的な価値を求める事もありますが、その場合は文章がないし、本になっていないので完成品ではありません。

印刷物の絵本を買う時、購入者が原画の存在を意識しないのも複製技術時代の美術的です。

原画に文章を添えたレイアウト原稿を複製し、製本化する事で完成する絵本を複製技術時代の美術として捉えた場合、絵本原画展は1点もののオリジナル性が価値を持つ本来的なハイカルチャー美術へ画家が回帰する動きなのかも。

平良志季先生の絵本原画「竹取物語」を観てそんな考えをめぐらせました。

絵本原画は複製される事を前提とした絵でありながら、1点もののオリジナル性を誇示する絵でもある。

現代の絵に与えられた二つの性質は複製技術時代のメディアが生み出したもの。

絵本原画がデパートのギャラリーで美術品として展示されているのを観ると、改めて絵画の現代的な二元性を実感します。


  2021年04月04日 斎藤五百枝と桃太郎

 
講談社の絵本『桃太郎』の作画を手がけた斎藤五百枝は東京美術学校教授岡田三郎助門下の洋画家であり、日本初の映画撮影所となる吉澤商店目黒行人坂撮影所へ入社し、撮影セットの背景画等を描いた日本映画黎明期の美術デザイナー。

挿絵画家としても活躍。

商業デザインに進出した典型的な画家といえる。


  2021年04月03日 共同研究会の本格始動

 
2021年4月1日より、大正大学綜合佛教研究所「仏教文化におけるメディア研究会」の第三期活動が本格的に始動します。

今後は3年後の出版を目標に「娯楽と日本仏教」プロジェクトの研究報告を随時開催。

また「仏教と精神文化」プロジェクトも展開していきます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。


  2021年04月02日 プレ・スタートアップ研究会

 
3月27日(土)、仏教文化におけるメディア研究会「娯楽と日本仏教」プロジェクトのプレ・スタートアップ研究会をオンライン開催しました。

私を含めた11名の先生方が集まり、近世・近代・現代の文化的接点、近世から近代メディアへの転換期、仏教文化の娯楽性について活発な意見が交わされました。

開催直前に問題が出たのですが、私が担当した「はじめに」の部分がその問題を網羅していたよう。

仏教文化におけるメディア研究会の「娯楽と日本仏教」プロジェクトでは1900年-1901年という時間軸を境に近世からの媒体と近代以降の媒体が並存・交錯・移行していくメディア情報環境を踏まえながら、様々な文化の担い手が娯楽という場でメディアを通じ、生成する仏教表現について考察します。

問題提起に工夫を凝らしたので1901年を境に近世から近代、近代から現代への影響について皆様から意見を述べていただきました。


  2021年04月01日 ジャータカ物語の連載スタート

 
本日4月1日発行の(公社)日本仏教保育協会編集『ほとけの子』4月号No.673より、私が再話する「昔のインドのおはなし ジャータカ物語」の連載がスタートします。

第1回目はジャータカ第429話が原作の「森のオウムと帝釈天」になります。

仏教系幼稚園・保育園の皆様はぜひご一読ください。


  2021年03月31日 2000年代の引用表現

 
共著論文「メディアを越境するコンテンツ-マンガ・アニメ・ゲームに引用されるモチーフとしての文学-」が『福島工業高等専門学校研究紀要』No.61に掲載。

バルトの「引用の織物」に基づき、2000年代以降のサブカルコンテンツに引用、アレンジされる文学史・文豪・作品の実態を考察しました。

日本近代文学会・昭和文学会・日本社会文学会合同国際研究集会において、渡辺賢治先生と大西永昭先生と共に行ったパネル発表③「文学から文学社会学へのシフト--表現・メディア・再話-」をもとにした論文になります。

他メディアにおける文学の引用は珍しい現象ではありません。

しかし新論文ではインターネットやSNSが普及する今日において、マンガ・アニメ・ゲームでは文学的モチーフをいかに引用しアレンジしているのか。

またそれにより、どのような現象が起き、いかなる弊害が生じているのかを論考しています。

共著論文「メディアを越境するコンテンツ-マンガ・アニメ・ゲームに引用されるモチーフとしての文学-」では文豪ストレイドッグス、文豪とアルケミスト、熱帯魚は雪に焦がれる、月に吠えらんねえ、恋する民俗学者を事例にしてみたのですが、ポイントは文学的モチーフの引用と変形という点になります。


  2021年03月30日 試行錯誤

 
仏教文化におけるメディアでは「精神文化と仏教」という別プロジェクトも検討中。

20世紀以降に発達した複製技術時代と大量消費社会のなか、価値観の時代的な推移と共に、仏教はいかに精神文化と結びつけられ、メディアで表現されたのかを論究していく試みです。

近代-現代を時間軸にしています。仏教文化におけるメディア研究会では仏教を精神文化と捉え、「精神文化」が持つ意味の時代的推移と共に、メディアからいかなる仏教表現が生成されたかを探る「仏教と精神文化」プロジェクトを検討。

国民精神・戦後復興・物質文化批判・オカルト・西域・サブカル等と仏教表現について論究できればなと。


  2021年03月27日 コノテーション

  大学で担当している絵画をテーマにした第3回講義がありました。

今回は、「潜在的意味を読み解く記号学」と題して、フェルディナン・ド・ソシュールの一般言語学における記号表現・記号内容・意味作用の記号モデルを紹介。

そこからロラン バルトの一般記号学(文化記号学)へ話題を移し、イメージ表現に潜在する象徴的意味としてのコノテーションが人々の思考・行動・情動・嗜好を誘導し、いかに支配しているのかというイデオロギー批判について語りました。

バルトによれば、フランスにおける中産階級の文化現象には、人びとを従属させようとする為政者や企業などが人工的に創り出した意味作用の支配があると言います。

意味作用とは、自分を取り巻くこの世界から記号を見つけ、その記号から意味を生み出していくプロセスのこと。

バルトは、デンマークの言語学者ルイ イムスレウの理論を援用し、言語の意味作用とともに生じるデノテーション、コノテーションの働きから、記号による人間を支配する文化的機能を暴きました。

たとえば、「バラ」という「バ」「ラ」からなる音声記号や文字記号、赤い花の図像記号があったとします。

普通、この記号を見る人は、意味作用によって、これは「植物の薔薇」だなと解釈するはずです。

「植物の薔薇」という意味の解釈は、日本語や、花の形と色を知っている人ならば、特別な知識がなくても読みとれる意味となります。

国語や植物学的な形態を知ってさえいれば解釈できるこうした記号・意味作用をバルトはデノテーションと呼びます。

しかし、デノテーション的な意味作用により解釈された「植物の薔薇」からは、更なる意味作用が生じます。

つまり「植物の薔薇」をさらに深読みすることで、言語や形態的意味からは外れた、「愛」や「情熱」という薔薇のシンボル・イメージ的な意味が読みとれるわけです。

こうしたメタ言語的な深読みの記号・意味作用をコノテーションと言います。

私たちは、「植物の薔薇」から見出される「愛」や「情熱」は、昔からあった薔薇が象徴する意味として存在していたはずだと思いがちです。

しかしバルトによれば、そうした薔薇のコノテーション的意味は、そう昔の時代ではなく近現代に、誰かが特定の意図をもって人工的に生み出した記号だというのです。

では、植物の薔薇から解釈される「愛」や「情熱」は、誰の、どのような意図から生み出されたのでしょうか。

バルト的に言えば、それは、政治・経済・宗教などの観点から、人々の思考・行動・情動を支配し、誘導する価値観として人為的に創り出され、広められたという答えになります。

たとえば、経済的な観点から考えてみましょう。

2月14日は、バレンタインデーですが、バレンタインデーチョコレートを売り出す某ホテルの広告では、商品の周りを薔薇の花弁で飾るという演出がなされていました。

「植物の薔薇」には、「愛」や「情熱」というコノテーションが解釈されます。

ゆえに「愛」や「情熱」といった薔薇のイメージを大々的に宣伝へ盛りこむことで、バレンタインやプロポーズ、結婚記念日などに、薔薇や薔薇をイメージした商品は売れるというビジネスが成立するわけです。

また、フランスの雑誌『コミュニカシオン』に掲載された「イメージの修辞学」という記事で、バルトが試みたフランスの食品メーカー「パンザーニ」の広告分析では、会社名、黄色・赤・緑という広告画面の色合いなどから、フランス人がステレオタイプとして持つ《イタリア性》というコノテーションが読みとれることを指摘しています。

つまり、パンザーニという企業は、フランス社会のイタリアに向けたステレオタイプをうまく広告に利用しているというわけです。

このように、バルトは、一見すると分からない、文化現象やイメージ表現に潜み、人間の行動や情動を支配するコノテーション的なメッセージを暴き出したのです。


  2021年03月26日 師匠の命日

 
今年は我が師匠プロフェッサー シャウマン ヴェルナー先生の7回忌・・・だと思う。

月日が過ぎるのは早いなぁ。



  2021年03月24日 科研費の延長承認

 
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、独立行政法人日本学術振興会へ申請していた科学研究費助成事業基盤研究(C)16K02329近現代の仏教絵本におけるブッダのイメージ研究は、1年間の活動期間延長となりました。

最後の貴重な一年間を活かして更なる業績を積んでいきたいと思います。

感謝。


  2021年03月20日 初稿原稿

  絵本学会紀要『絵本学』No.23号に掲載する「報告:2020年絵本研究参考文献目録(2020年1月-12月発行分)」の校正作業を終えました。

全31ページに及ぶ目録を編集しているので多くの誤字脱字や掲載順不備を見つけて大慌て。

本日、絵本学会紀要『絵本学』の初稿原稿が届いたので、紀要編集委員として早速チェック。

この数週間は校正作業が早朝の日課です。共著の論文集でも執筆要項やら原稿確認やらを一人でやっている私ですが、やはり編集作業というのはかなり大変な仕事であり、改めて編集者の偉大さに感謝いたしております。


本号で編集委員の任期が満了です。ありがとうございました。


  2021年03月18日 共同研究会の承認許可

 
本日、私が代表を務めます「仏教文化におけるメディア研究会」の第三期活動更新に関しまして、所属先の大正大学綜合佛教研究所より正式な承認許可をいただきました。

令和3年4月1日より、ご参加いただく総勢18名の先生方と新たな研究に取り組んでまいります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

「仏教文化におけるメディア研究会」では、言語表現や美術表現にとどまらない、あらゆるメディアが生み出す宗教表象について考察しています。

それにより、社会のなかで様々な思想・価値観・習慣・通念と交わり多元化していく、メディアで表現され、記録されてきた宗教文化の諸相を浮かびあがらせます。


  2021年03月15日 博士号学位授与10周年

 
本日3月15日は森 覚先生の博士号学位授与10周年です。

10年前は東日本大震災によって学位授与式が中止となり、10年後には新型コロナウイルスの感染拡大と何やら厄災まみれのこの世界ですが、ちゃんと博士論文を書いております。

今後ともよろしくお願い申し上げます。




  2021年03月14日 担当講座

  令和二年度は下記の講座を担当いたします。

●大正大学

知の加工術1 知の加工術5 情報処理D(データベース)/情報処理D(Accessプログラミング) 仏教表現研究B

●帝京大学

絵画Ⅰ 絵画Ⅱ 認定絵本士養成講座 情報と職業 情報処理Ⅲ(Access) 情報処理Ⅳ(プログラミング) 図形処理と画像処理


  2021年03月12日 文化と文明

  メディアと宗教表現について考察する際には、そこに反映された思想や価値観などをとらえることも重要です。

明治大正期にドイツ語のKulturから造られた翻訳語としての「文化」には、人間の精神的活動(Geistige)とその所産としての文化という意味があります。

また、その対義語は、人間の物質的活動(Materielle)とその所産という意味を持つの意味を持つ「文明(Zivilisation)」。

ここから精神文化と物質文化の概念が生まれます。

「文化」と「文明」は、民族主義と国家主義との関わりが深い概念。

それを裏付けるように、昭和7年、文部省直轄の国民精神文化研究所が創設。

そして昭和16年には、国民精神文化文献第23巻『日本仏教思想資料集』が刊行します。

この文献は、仏教が精神文化に結びつけれたことを示すもの。

しかし戦後の1970年代になると、高度経済成長を批判する文脈で精神文化の概念が使われます。

1970年代以降、高度経済成長の物質文化を批判する「精神文化」の範囲には、ニューエイジ、ニューサイエンス、オカルト、妖怪、エコロジー、異郷、宗教などが含まれます。

「仏教と精神文化」プロジェクトでは複製技術と大量消費の中で展開する、これらの文化に関わるメディア表現も考察したいのです。

大正6年に市田幸四郎がアメリカから導入したオフセット印刷複製技術により、印刷物の増大と安定供給が実現し、郵便制度などを用いて、定価販売で全国へ売り出す販売網が構築され、写真、映画、ラジオ、レコード、テレビ、CD、DVD、インターネットなどの新メディアが登場した20世紀のメディア時代。

こうしたメディアの潮流とともに、国民思想としての精神主義、高度経済成長に象徴される物質主義、ニューエイジやスローライフのような精神主義といった価値観の時代的変遷、世俗化と国際化が進展するなかで拡張する物質文化と精神文化といったさまざまな社会情勢のなか、宗教はどのように表現されていったのか。

仏教文化におけるメディア研究会では、社会との関わりのなか、メディアを通じて表現される宗教について考えます。



  2021年03月11日 東日本大震災10年

 
東日本大震災で森一族が多くの犠牲者を出した災害の記憶が毎日新聞に残されていましたので転載させていただきます。

あれから10年が経ちました。

亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

リンク
〇 毎日新聞 見つめ続ける・大震災 命つないだ橋 宮城県名取市・北釜地区

〇 藤森りょう「あいたくて」

 


  2021年03月10日 最近の出来事

 
1月上旬から続いていた共同研究会の活動継続申請書を作成。

共同研究会の活動報告書、期末試験の採点、大学の成績づけ。

次年度に向けた大学の講義シラバス作成。

査読通過した研究論文を改稿、連載記事6月号分の執筆が終わりました。

3月27日には共同研究会主宰のオンライン発表会で話します。


  2021年03月07日 「明治初期における房総地方の日蓮宗不受不施派」

 
大学院時代の同期である内藤幹生先生より、研究論文「明治初期における房総地方の日蓮宗不受不施派」をご恵贈いただきました。

江戸時代、キリシタンとともに禁教となった日蓮宗不受不施派が房総地方にて次第に地下潜伏していき、明治以降に解禁されていく経緯を書簡から明らかにしたご論考です。





  2021年03月02日 「蓮花寺佛教研究所 今井秀和先生講演会」

 
鳥取県倉吉市の大岳院で開催されている「仏像とフィギュア」展関連イベントとして「蓮花寺佛教研究所 今井秀和先生講演会」が2021年3月21日(日)13:30より倉吉人権センター会議室3階(円形劇場くらよしフィギュアミュージアム横)にて開催。

グッスマ社の松田さんが頑張っておられます!





  2021年03月01日 査読通過

 
論文「明治15年の草双紙『開化地獄論』-啓蒙主義と仏教-」が査読を通過。

文明開化の必要性を国民に広める為に制作された本作は近代教育を受けた小学生が閻魔に地獄が迷信である事を主張する物語。

そこには江戸時代から縁日で賑わう東京の閻魔詣を迷信として否定したい明治政府の思惑がありました。


  2021年02月25日 精神文化と宗教表現

  仏教文化におけるメディア研究会の第三期活動では、「娯楽と日本仏教」と別の研究プロジェクト「精神文化と宗教表現」の企画立案を進めています。

20世紀以降、宗教者や知識人だけでない多領域の人間が複製技術時代と大量消費社会のメディアを通じて創出する宗教表現の考察は、「娯楽と日本仏教」と同時並行の別プロジェクトとして継続的に進めたい研究テーマ。

このプロジェクトは、大正大学仏教学部で、仏教マンガ・仏教童話・仏教絵本を取りあげる仏教表現研究Bの講義を担当し始め、20世紀以降のメディアに見られる宗教表象について考察する共同研究をしたいと考えたことがはじまり。

「娯楽と日本仏教」プロジェクトは、その前後の時代も視野に入れながら、近代を時代区分の軸に置いています。

しかし「精神文化と宗教表現」プロジェクトは、時代区分というより、メディアの質的な変化に注目する観点から19世紀から20世紀に移行する時期の転換点から出発し、近現代におけるメディアの宗教表現を考察したいと考えています。

それにより、複製技術時代の大量生産・大量消費社会の物質文化と精神文化の間で揺れ動く宗教文化の実態を浮き彫りにしていく共同研究になります。

複製技術時代のメディアは、オリジナルの1点ものではなく、同じ形状の表現が大量に複製生産され、大量に流通し、大量に消費されるものをいいます。

複製技術時代のメディアが生む宗教表現は、オフセット印刷、仏像や宗祖像の同型鋳造、現代建築、デジタル情報、通信ネットワークなど様々な領域に溢れています。

また、大量生産の宗教表現は、複製品ゆえに、希薄化しているかのように見られがちな信仰対象としての機能や、美術性の問題もあります。

そういう性質のメディアによってコンテンツ化され、商品として消費されていく複製技術時代の宗教表現と宗教文化を考える必要性はあると思います。


  2021年02月19日 「娯楽と日本仏教」プロジェクト

  仏教文化におけるメディア研究会第三期共同研究会では、2021年4月1日より始動させた「娯楽と日本仏教」プロジェクトを展開しています。

この研究プロジェクトは、宗教者・知識人にかぎらない、幅広い立場の論客・ジャーナリスト・表現者などの文化の担い手が、娯楽という場でいかなる仏教表現を生み出し、それがどのようなイメージとして人びとに共有されていってのかというコンセプトを設定しています。

また、近代のメディアというものを考えるとき、1900年から1901年へ、すなわち19世紀から20世紀に移行するあたりというのは、近世からの継続するメディアと近代から新たに出現したメディアが並存し、交錯し、入れ替わっていく時期となります。

そのため、3月27日に開催したプレ・スタートアップ・オンライン研究会では、問題提起として、近世のメディアの延長上にある草双紙『開化地獄論』と文明開化(近世-近代)、そして、近代に生じたメディア革新と共に展開した親鸞新聞小説(近代-現代)というパートに分けました。

つまり、研究テーマの時代区分として近代に軸を置きますが、1900-1901年(和暦では明治30年代)を一つの時間軸として、それよりも以前の19世紀メディア、それよりも以後の20世紀メディアにも言及していくという共同研究の一つの研究方針を提示したわけです。

明治20年代、明治30年代のメディア転換期という視点は、すでに橋口侯之介先生や大塚英志先生などが指摘しているところです。

わたし自身も昨年度から、19世紀から20世紀へ移行する時期のメディア転換点を軸に、複製技術時代と大量消費社会が到来するなか、画家をはじめとする表現者がいかに商業的なクリエイターとして出版やデザインの分野で活躍し始めたのかという講義をしました。

講義の経験で得た知見を「娯楽と日本仏教」プロジェクトのコンセプトへ反映した次第ですが、メディアが生成する宗教表現の問題をとらえる時、メディアと表現の転換期という問題を浮かび上がらせることができたのは、偶然とはいえ、よい結果を生みました。


  2021年02月11日 アミターバ・アミタユース

  丹波仏師覚慶作アミターバ・アミタユース。小麦粘土製なので、乾くとバラバラに崩れ去ります。

まさに色即是空、諸行無常を身をもってお示しになる仏さま。

また作り直せば空即是色ですが、同じ形にはなりません。

作者の名称は丹波仏師快慶が元ネタ。

十九山達身寺が好きなので。

いそうでしょ覚慶。


  2021年02月03日 ウォルトン『フィクションとは何か』の重要キーワード

 
ケンダル・ウォルトン『フィクションとは何か ごっこ遊びと芸術』を開く。

本書の主要理論は序章の35-68ページに大体の事が記されています。

理論としては虚構的真理、虚構的命題、小道具、生成の原理、小道具による遊びの規則・想像行為への命令、公認された遊び、虚構世界あたりが重要でしょう。

『フィクションとは何か』にはこの他にも小道具がない場合の想像行為を説明するためのモデルなど、さまざまな理論が記されています。

自分が考えているそれぞれの研究課題に応用できる理論もあるという事です。

ただ本書は事例が多いので序論の理論名があげられる箇所を目安に読むと良いかもしれません。

『フィクションとは何か』では虚構である美術表現を人間が現実世界のように語るプロセスについて論じます。

その理論は仏の代替である仏像を通して仏を想像する事。

虚構であるアニメ作品のキャラクターや世界観を現実のように想像する行為の説明に使えるのではと私は考えています。ごっこ遊びですから。


  2021年02月01日 「仏教と近代」研究会合評会

  「仏教と近代」研究会の合評会「『近代の仏教思想と日本主義』を読む」をオンライン視聴しました。

三部構成からなる本論集を書評者の繁田真爾先生、大谷栄一先生、赤江達也先生が分担してコメントされ、執筆された先生方が質疑に答えられていました。

日蓮主義に対する研究者層の厚さを感じました。


  2021年01月30日 絵本はアート

 
現在の絵本学では絵本をアートとして評価する見方があります。

私はこれを拡大解釈しています。

つまり絵本は本という支持体に原画と文章を印刷した複製絵画・消費芸術だという前提に基づき、絵画Ⅱの講義を進めているわけです。

複製技術時代と大量消費社会における画家の活動が講義のコンセプトなので。


  2021年01月29日 新しい論文

 
近日中に掲載される新しい論文は三学会合同国際研究集会で発表したマンガ・ゲーム・アニメに引用される文学の歴史・作家・作品です。

バルトの「引用の織物」に基づき『文豪ストレイドッグス』「文豪とアルケミスト」『熱帯魚は雪に焦がれる』『月に吠えらんねえ』『恋する民俗学者』を取り上げました。

この論文で論点となるのは作家と作品の引用です。

『文スト』と『熱帯魚』は単なる文学の引用事例となります。

しかし肝心なのは「文アル」『月吠え』『民俗学者』の作品と作家引用の方。

これら三つの作品に見られる文学の引用により作家と作品の存在が強調される事で起こる問題について論じています。


  2021年01月28日 「仏教表現研究B」第14回

 
大正大学の仏教表現研究B第14回講義が無事に終了しました。

最終回は『メディアのなかの仏教』にも収録した今井秀和先生の「現代消費社会における「ブッダ」像―手塚治虫『ブッダ』から中村光『聖☆おにいさん』への転生」に基づき社会との関わりの中で生み出される仏教表現を見ていきます。

講義では、『聖☆おにいさん』を取り上げ、今井秀和先生が指摘した①手塚治虫『ブッダ』のパロディ、②現代消費社会の仏教を表現すること、③宗教表現をめぐる禁忌について話しました。

手塚治虫の『ブッダ』が興味深いのは、完全な存在ではないブッダが描かれていること。

舎利弗と目連の死に涙し、タッタの死に絶望し、感情をむき出しにしてルリ王に物申すブッダ。

悟りを開いた完全な存在ではなく、人生の困難を乗り越える生身の人間ブッダが表現されています。

仏教表現研究Bは仏教がマンガ・童話・絵本の表現に与えた影響について話す講義でしたが、結局、蓋を開ければ、社会との関わりの中でメディアが生み出した仏教表現について話していました。

つまり時代と共にメディアの中の仏教はいかに形を変え、何が堅持されてきたのかというのが重要なテーマです。


最後に参考文献として『メディアのなかの仏教』も宣伝。


  2021年01月25日 仏像と仏像フィギュアの展示会

 
『南総里見八犬伝』のモデルとなった里見忠義と家臣8名が葬られる鳥取県倉吉市の大岳院で仏像と仏像フィギュア展が開催。

これはグッドスマイルカンパニーの松田謙治さんによる企画で、研究論文「仏像と仏像フィギュアの境界線」の著者である今井秀和先生も協力しています。

福島高専の渡辺賢治先生から松田謙治さんを紹介され、それから都内でよく懇親会を開催していました。

また今井秀和先生にお越しいただき、松田さんと初顔合わせとなったわけですが、まさかこの縁が鳥取の倉吉という土地で仏像と仏像フィギュア展示会に昇華していくとは。

人生何が起こるか分かりません。

リンク 世界初!?本物とフィギュアの仏像コラボ


  2021年01月23日 草津木屋本陣

 
滋賀県草津市の木屋本陣は吉良上野介や浅野内匠頭、皇女和宮、新選組の土方歳三と伊藤甲子太郎、藤堂平助が宿泊した宿泊所。

当主の田中家は浄土宗佛國山地蔵院正定寺の檀家である事から仏壇には阿弥陀如来立像が安置されています。

小さい坐像は法然房源空でしょうか。

正面右隣りの掛軸も気になります。




  2021年01月22日 朝日の長者 夕日の長者

 
岩手県釜石市の大沢遺跡には「朝日の長者 夕日の長者」という伝説があります。

同じ名前の民話は各地にありますが、釜石の場合は海賊を生業として巨万の富を築いた長者が鵜住居麗山神社の御神楽を泊めなかった為、双方とも凶事で滅びる話。

これも明治期のコレラ流行から成立した新しい伝説のようです。


  2021年01月21日 「仏教表現研究B」第13回講義
  大正大学「仏教表現研究B」第13回講義は「地域の歴史と文化を描き出す絵本」と題して、地域社会に根ざす仏教文化について取り上げました。

巣鴨の高岩寺と博多の聖福寺に関する二つの仏教絵本を読み解きました。

今回取り上げた『とげぬき地蔵さま』は東京都豊島区の地域住民が地域学習の一環で自主制作した絵本。

巣鴨とは全く無縁のとげぬき地蔵縁起ですが、地域ぐるみの宣伝活動によって巣鴨のランドマークになりました。


  2021年01月15日 図像を読む

 
歌集『みだれ髪』はハート型をした女性の横顔に矢が刺さる表紙。

深読みすればキューピットの矢が刺さるハート型の女性の横顔は「恋に落ちた乙女」と解釈ができます。

「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」を読む時、この絵が読解に及ぼす影響は大きい。文学には絵も重要です。




  2021年01月10日 「絵画Ⅱ」第15回講義
  帝京大学短期大学「絵画Ⅱ」の第15回講義は「総括-感染症とアート」です。プッサンの「アシドドのペスト」からバンクシーまで感染症関連のアートをとりあげました。

開講日の1月7日(木)は東京都の新規感染者が2447人となり、緊急事態宣言が発令されました。

非常にタイムリーな講義でした。

帝京大学短期大学の絵画Ⅱは第15回で全講義が終了です。

前期の絵画Ⅰを含め、講義の全体テーマは「社会との関わりによって生み出される絵画作品、社会との関わりの中で絵画を描く画家」でした。

昨今のコロナ禍は美術家と社会のつながりを強く感じられるテーマであるため、講義でも取り上げました。


  2021年01月09日 共同研究会第三期活動について

 
大正大学綜合佛教研究所の共同研究会で、私が代表を務める「仏教文化におけるメディア研究会」の活動を次年度も継続することになりました。

そこで目下、申請書を書いているところでございます。

コロナ禍により対面での研究会は開催不可能ですが、研究する場所はやはり確保した方がよいという方針です。


  2021年01月02日 仏教文化におけるメディア研究会

  現在、大正大学綜合佛教研究所で、仏教文化におけるメディア研究会―Buddhist Culture Media Research Group(仏表研―BCMRG)という共同研究グループを主宰しています。

本研究会は、2013年に発足し、今年で第三期目の活動を迎え、助走期間を含めれば全四期に及びます。

共同研究として取り組んでいるのは、メディアが生成する仏教表象から時代とともに変容してきた宗教文化の諸相について探ることです。

古代インドでブッダが創唱した仏教は、当初、人から人への口伝による身体的な直接コミュニケーションを通して広まりました。

しかしその後、文字、彫像、建築、儀礼、音楽など、今日でいうところのメディアにより、文字を読めない者まで含めた不特定多数の人びとへ情報伝達されるようになりました。

インド周辺から東南アジア、中央アジア、中国、韓国、日本、欧米諸国まで拡大した仏教は、伝播した地域の政治体制、経済構造、社会階級、異宗教、言語活動、思想や価値観、生活習慣などの文化的要素と融合し、時に相剋しながら、更なる変容を遂げていきます。

今日にいたるまでの仏教史を総覧すれば、そうしたメディア、諸媒体が生み出す宗教表象(宗教表現)の力は、さまざまな分野で確認することができます。

そして、19世紀末から20世紀へ移行する時代になると、科学技術の発達と応用により、現代にも見られる近代メディアが登場し、複製技術時代と大量消費社会が到来します。

印刷・映像・音響・造形・記録再生・通信などにより拡散される膨大な数の多種多様な仏教表象が氾濫し、人びとはそれをメディアから浴び続ける日常のはじまり。

これを機に、諸媒体を越境する宗教表象によって、宗教者や知識人だけではない、幅広い立場の論客と表現者から発信される宗教観が同時代的に共有され、いままでにない知識と心象の情報ネットワーク空間が構築されていきます。

メディアが生成する宗教表象を丹念に読み解くことは、幾つもの文化圏に受容され、時代の価値観に応じて解釈が加えられてきた宗教の文化史を明らかにする行為となります。

人間は、いかにメディアを用いて宗教を表現し、創りかえてきたのか。

人びとは、メディアを通して宗教とどのように接し、それを共有し、新たな文化現象を創出していったのか。

仏教文化におけるメディア研究会は、そのような課題に取り組んでいます。


 Copyright 2011 Kaku Mori